今、目が覚めてふと思いました
神様がいるとしたら
このコロナウィルスをなぜ私達人間に送り込んだのだろう
クリスチャンで言う神様は人間にとって
私達の最善を常に願う方なのですが
だったら、なぜこんな嫌な目に遭わせるんだ
という疑問にぶち当たります
私達からすれば、これはメリットではなくデメリットでしかないからです
これを神様からの視点で考えてみました
注(私は神様じゃないので本当の神様の真意はわかりません)
神様は疫病を私達に送った
以下、聖書からです
7:13 もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、
7:14 わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。
歴代誌7:13-14
私達人間は神様がいなければ、すぐに自分ひとりで生きているという傲慢に陥りがちです
でも、今回のコロナウィルスの件もそうですが
人間は実に無力です
実際にこの疫病を今すぐに取り払うことは私達人間には出来ません
では、この状況下に神様は何の目的で私達を置いたのか
人間は無力であることを知り、自分の立場を見直すためなのかな
と私は考えました
先日、とあるスーパーに行ったのですが
昨年の夏には、そこへ子どもを抱っこして重くて暑くてしんどい思いをして来たことを思い出しました
でも、今は子どもの感染予防のために子どもはスーパーへ入れず夫に預けて自分ひとりでマスクをして入って行く
今考えるとあの頃はしんどかったけど、こんな脅威も感じず気楽で良かったなぁ〜
あたりまえの日常は私達の力で成り立っているわけではないんだと思わされました
そして、無力さを知った私は神様にまた今までのような自由を与えてほしいと祈りました
また、悪い道から立ち返ること
私としては、今の状況ならば自分だけ良ければいいという隣人愛に反することと捉えました
一例は買い占めとかでしょうか
以下、聖書のマタイによる福音書から
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
22:38 これがいちばん大切な、第一のいましめである。
22:39 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
"自分を愛するように"
隣人つまり、自分以外の全ての人を愛する
これが今求められていることなのかなと思いました
さて、また寝ます