ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町横沢を往く-4⑨(終)

2025年01月08日 | 旧太田町を往く

<歩いたところ(部分)のS23年の航空写真>

●歩いた日:2024年9月25日(水)

●歩いた所

 ・三本扇:儘下川原、宮内、高野、古屋敷、堤、杉向、上立石、野沢、小柳、一本木、狐柳、高花、上川原、篠沢、今宿、三本柳

 ・本堂城回:吉清水、川口道北 ※「本堂城回」は「旧千畑町千屋」に属す。


●歩いたログ(足跡)(道のり7.2km)

(以上の地図:国土地理院地図に加筆)

<再掲:S51年の航空写真(歩いたところの南西部分)>

 次にS51年の北東部分。


 
 右側を南北に「県道11号」、「角館-六郷線」が走る。「川口川」と「真昼川」の南側の田んぼを見ると、県道の東側は小区画ながら整備されているが、県道の西側は不整形な田んぼが広がっている。この後S23年の写真を見ると分かるように、東側の田んぼは戦後になってようやく拓かれた田んぼで、最初から整形された田んぼとして拓かれたものである。西側の田んぼは「真昼川」、「川口川」の水を引くことで、早い時期に開田されたと思われるが、田んぼの区画は、この後見るS23年当時の状態とほとんど同じままとなっている。

 「中里橋」下流側の「川口川」をご覧いただきたい。まっすぐ西に流れた後に南に急カーブしている。H28年には緩やかなカーブになっているので、この後、流路を付け替える改修が行われたことがわかる。

 「真昼川」の土手にはまだ桜並木が形成されていない。

 最後にS23年の写真で、これも南西部分から。


 
 右上隅に影が映る。アメリカ軍飛行機の翼だろうか。

 上部に現在の「県道305号」、右下隅に「県道11号(角館-六郷線)」が写る。

 橙色で書き入れた線は、当時はなかった現在の道筋である。

 左上隅、「侭下川原」のところ、前回の「横堀・横沢を往く-2」でも書いたが、「県道305号」から「儘下川原橋」に至る道が、当時はカギ型に折れていたことがわかる。

 中央、「大杉山神社」近くの十字路から「県道305号」に向かう道が、当時はまっすぐ「宮内神社」に向かっている。現在は、「宮内神社」よりだいぶ東寄りのところで県道に突き当たっている。

 下端、現在「今宿会館」が建つ場所と墓地の間を通ってまっすぐ「県道11号」に向かう道がない。当時は「赤➡」で示した道が通っており、S51年の写真のところでも書いたように、この道(S51年当時は大半が水路)が現在の「大仙市」と「美郷町」の境になっているようだ。

 次に北東部分。


 
 80年近く前の航空写真を見ると、この当時、この場所に立って周囲を見渡したら、どんな景色が見られたのだろうと、小さな子供の頃に見た景色を思い起しながら、思わず想像してしまう。

 ブログで何度か書いたことだが、S23年当時、「県道11号」の沿線からその東側は、稲づくりに必要な水を確保できなかったことから、写真右下に見えるような畑や森林・原野が広がっていた。この中に立ったら、今では想像もつかないような風景が広がっていたに違いない。

 こうした畑、森林・原野は、戦後になって、遠く「玉川」から水を引く「田沢疎水」が開削されたことから、S40年代までにことごとく田んぼに姿を変えた。

 そんな中にあって、右上、「川口川」と「真昼川」に挟まれたところ、両河川のすぐ南側に位置する「上川原」辺りは、これらの川の水を利用できるので、早い時期に開田されたようだ。
 S23年の写真でも「大シャガチ」、「上川原」の道祖神の祠、「狐柳」の大きな木立、そして木立に囲まれた「宮内神社」が確認できる。「宮内神社」のところに白く見えるのは社殿の屋根だろう。

(終わり)

●これまでブログに掲載したログの累計(累計の道のり:693.9km)

 ログの累計が700km近くになりました。「秋田」・「東京」間をかなり超える道のりです。この後も「川口川」沿いの地域を歩いたブログを続けていくつもりですが、雪の季節になってしまい、外歩きがなかなかできずにおります。好天に恵まれたら逃さずに出かけたいと思いますが、しばらくの間「仙北平野」歩きのブログは中断することになるかもしれません。その間もできるだけ季節の話題などを掲載していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


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