●歩いた日:2016年5月26日(木)
●歩いた所:下瀬、川崎、半在家、沖谷地、谷地、鳥場屋、落合、天水、星宮、豊後谷地
●歩いたログ(道のり:8.5km)
(以上の地図:国土地理院)
私事で学校の話を長々と続けてしまったが本題に戻る。
「四ツ屋小学校」の校庭の端を昔からある水路に沿って行くと、かつての正門脇に今も残る老木の桜がある。それを懐かしく眺めながら(見惚れて写真を撮らないでしまった。花が咲いている時に写しておきたい。)正門から通じている当時の細い道を進んで「旧角館街道」に出る。
街道を少し行って東に折れ、「田沢湖線」を横断(地下道を潜って)する。この辺りは「下瀬」である。前方道路沿いに奇妙な姿の杉の木があるのでカメラを向ける。
📷001:「下瀬」の背高のっぽ杉
杉の葉が道路に落ちないようにするためだろうか、あるいは葉がいっぱい付いていると風に倒される心配があってだろうか、てっぺんを残してほとんど枝葉が切られている。葉が少ないので、背は高いのに幹がいかにも細い。ちょこんと立っている姿は、なんとなく痛々しい感じがする。
やや大きな水路を越えると「川崎」である。少し進んで左折し、家々が集まる方に向かう。曲がって少し行くと、ログの地図でもわかるように、家々が道から離れたところにあり、家に向かう小道が黒線(地図の「川崎」の字の下のところ)で3本描かれている。
これは、家々から離れたところに新しい道が整備されたものだろうと思って、改めてS23年の航空写真を見る。
案の定、昔の道は家々に接するように通っている。想像が当たるとうれしい気持ちになる。
右側に改修前の蛇行している「窪関川」が写る。
集落の中を通り過ぎて「窪関川」にかかる橋の手前で振り返ってカメラを向ける。
📷002:「川崎」を望む
屋敷林を背景にした家々が並び、おだやかなたたずまいである。田んぼは田植え直後で、稲はまだ弱々しい感じであるが、すぐ根をしっかりと張り田んぼはどんどん緑の濃さを増す。
ちなみに、「川崎」という地名は、「地名への・・・」によると、川の蛇行により陸地が岬のように突き出た地形に由来するとある。
「窪関川」を越えると「半在家」で、「旧四ツ屋村」のなかでも「高関上郷」に属する。点在する家の間を進むと、やがて「川崎」に曲がる前に歩いた道の先に当たるやや広い道路に出る。「四ツ屋」と「横堀」をつなぐこの道は「半在家道路」と云うらしい。
📷003:「半在家道路」
「半在家道路」で西を向いた写真である。この辺りは、地名では「谷地」、「沖谷地」である。真っすぐな道の奥に「西山」がうっすらと写る。この道については、帰りの記事でまた触れたいと思う。
東に進んで行くと道端にぽつんと社があるので寄り道する。名前を確認すると「生馬神社」とある。昔は木立に囲まれていたのであろう、太い切り株がいくつかある。
神社を過ぎた辺りから「旧仙北町横堀」に入る。この後、別の機会に歩いたログ(足跡)とつなげるため、いったん南に向かう。
(その3に続く)
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