<歩いたところのS23年の航空写真>
●歩いた日:2021年3月20日(土)
●歩いた所
・新谷地(四ツ屋):丹波窪、千刈久保、虎ノ口、小萱場、吉清館、上台、水吞場
・四ツ屋(四ツ屋):下原野、上原野、水吞場
・花館 :上大戸
※「水吞場」は、「新谷地字水吞場」と「四ツ屋字水吞場」がある。
●歩いたログ(足跡)(道のり4.3km)
(以上の地図:国土地理院)
次にS51年の写真。
田んぼはまだ大きな区画に整備されていないが、道筋は今と全く同じである。ただ、「四ツ屋を往く-6」でも書いたが、生い茂っている木立が、H30年よりに多かったことが一目瞭然である。「上原野」から南西に延びる水路沿いには木立が連なっており、並行して走る道は並木道のような感じである。子供の頃、この道を通ったことがあるはずだが、木立は全く記憶にない。
「新谷地」の医院の前の古い道筋がはっきりとわかる。
「白山神社」の参道入口に大きな木立が見える。今、覆いをして大切に保存されている切り株はこの木のようだ。
曲屋の家の広い屋敷は、拡大して見ると畑などとしてきちんと管理されている。
最後にS23年の写真。
「上大戸」の十字路は木立に隠れてよく見えないが、その位置と思われるところを矢印で示した。
「上原野」の辺りに注目していただきたい。右端中段から「上原野」の向かってくる道は、ピンク色の線を引いたように、現在は水路をまっすぐ横断し「新谷地」に向かっている。しかし、当時の道は、水路の直前で左にカーブし、水路沿いに少し行った後に水路を越えていることがわかる。この水路を越える位置が、📷05に写るコンクリート橋のところと思われる。水路を越えたところにある家も、📷05に写る家のようだ。この道はこの家の脇で二手に分れ、「新谷地」と「水吞場」に延びていることもわかる。こんなことを確認できるのも昔の航空写真を見る楽しみである。
S51年写真同様、「白山神社」の参道入口に茂る木立が確認できる。
写真中央に曲屋の家が写る。屋敷の右下(南東)の、S51年には田んぼになっている場所がきれいに区画されているが、これは何だろう。昔は、家のそばに稲の苗を育てる苗代があったものだが、それだろうか。
「水吞場」に西側、現在大きな池がある場所は、木立に密集して森のようになっている。ここにある池は、川の蛇行跡に残った沼ではなく、人工的に造られた池のようだ。とすると、この下手に広がる田んぼに水を引くため、あるいは新たに田んぼを拓くために造られたため池と思われる。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:501.6km)
ついに、というかようやくブログに掲載したログ(足跡)が500kmを超えましたが、「仙北平野」はまだまだ広いです。これからも歩き続けたいと思っておりますが、左足が😢😢😢・・・。
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