「我的心情是花開花謝己経長年依然活在我的心中」
(花が散り、花が咲き、時は巡り、もう長い年月がすぎた今も、あなたは心の中に生きています)
この文章は、元トーラスレコード社長の舟木稔さんが、『鄧麗君 歌姫-特選テレサ・テンの世界-歌物語』の中に「君の笑顔は私の心にある」と題して書かれた文章の最後の部分です。
テレサ・テンさんが大変信頼を寄せていた『テレサの日本のお父さん』こと舟木さんの言葉は、多くのテレサファンを代表するにふさわしい文章であると感じます。テレサほど他界して後も、多くのファンの心の中に生きている歌手はいないのではないでしょうか。
中華圏での彼女の人気は比類なきものですが、日本においても、平成の時代に亡くなった歌手の中で、もう一度見たい歌手の一番人気がテレサ・テンだったのを見た記憶があります。彼女は本当に今でも多くの人々の心の中に生きているのです。
1995年5月8日、タイのチェンマイの高級ホテル「メイピンホテル」で静養中だったテレサは、部屋からよろけながら出てきて、廊下にばったりと倒れてしまいました。その時、「ママ…」と弱々しい声を発したとのことですが、それがテレサの最期の言葉になってしまいました。午後5時30分、最愛のお母さんを思っての最期で、誰も想像だにしなかった急逝でした。まだまだこれからの活躍が期待されていたにもかかわらず、わずか42年の短い生涯になってしまいました。死因は、気管支喘息の発作とのことです。
それにしても、1995年という年は、「まさか、こんな事が起きるなんて」という現実に幾度も直面した、忘れることなど決してできない、特異な年でした。
1995年1月17日早朝、布団の中で夢見心地だった私は、少し目を覚ましかけていました。そして、今まで体験したことのない激しい横揺れに襲われ、まるで大波の上で翻弄されている小舟のように、我が家は大きく何度も揺れました。家が倒れるかもしれないと覚悟しましたが、なんとか倒壊は免れました。本当にただごとではない地震で、テレビに映し出された高速道路の高架は、無残にも横倒しになり、今まで見たことのない光景が広がっていました。「今見ている光景は、本当に現実なのだろうか?」まるで悪夢を見ているとしか思えませんでした。1995年は正月早々から、6,000名を超える犠牲者を出した阪神・淡路大震災に見舞われたのでした。
次に、1995年3月20日朝、東京都内の営団地下鉄日比谷、丸ノ内、千代田各線の電車内に、猛毒のサリンがまかれて、乗客及び乗務員、係員、さらには被害者の救助にあたった人々にも死者を含む多数の被害者が出ました。いわゆる地下鉄サリン事件です。慌ただしく行き来する救急隊員や警察官、駅の職員等、平素の日常から大きくかけ離れた、世界的にも類例のない惨劇に、とても現実に起こった事件とは思えませんでした。
その地下鉄サリン事件のXデー、麻原彰晃が逮捕される日が近いのではと連日のように報道がされていたさなか、突然飛び込んできたのがテレサ・テンさん急逝のニュースでした。台湾では、5月9日12時52分に第一報が新進の衛星テレビ局TVBSによって報じられ、その後1時間ほどの間にテレビ・ラジオのメディアが続々とテレサ・テンの逝去を速報形式で報じたとのことです。夜には、予定を変更して鄧麗君の逝去報道一本になったのも、出身国の台湾では当然のことでしょう。
かたや日本では、9日の夜にはテレサ・テン逝去が報じられ、翌10日には朝のワイドショーで次々とテレサ・テン急逝のニュースを大量に報じ始めたようです。
私は、当日仕事から帰り、午後のワイドショーでテレサの逝去報道を見ていました。その時、私の記憶に鮮明に焼き付けられたシーンがあります。それは、テレサが軍服を着て、ニコニコしながら軍人たちと一緒に走っているシーンでした。その明るく元気なテレサの姿が、もはやこの世では彼女の姿を見ることができなくなってしまったという厳粛な事実とあまりにもかけ離れており、私はただ呆然とテレビを眺めていることしかできませんでした。
あれから、26年もの歳月が流れました。テレサの優しく、そして、美しく切ない歌声は、今でも多くの人々の心の中に生きています。あの歌声は、テレサが多くの人々に向けた優しさ、また社会的に恵まれない人々へ向けた慈愛の心が、そのまま現れている歌声だとしか思えません。きっとテレサの歌に込めた情念が多くの人々を癒やし続けているのでしょう。1995年に連続して起きたような、悲しい出来事が起こりうる世の中だからこそ、人々の心が癒やされる必要があるのです。
どうか、これからも、テレサの歌を聴く人々の心が癒やされ続けますように。
そして、永遠に、テレサの魂に栄光がもたらされますように。
※参考資料
・『鄧麗君 歌姫-特選テレサ・テンの世界-歌物語』
・平野久美子著『テレサ・テンが見た夢』筑摩書房刊
・『テレサ・テン 鄧麗君 没後一周年追悼展』朝日新聞社発行