つらつら日暮らし

曹洞宗の授戒作法に於ける「衆生受仏戒」偈の採用について

先日アップした【『仏祖正伝菩薩戒作法』の特徴について】の関係で、拙僧自身、授戒作法中に於ける「衆生受仏戒」偈の問題について、興味を抱いた。この偈について、出典はよく皆さまご存じであるとは思うが、確認しておくと中国以東に於いて菩薩戒の根本聖典の扱いを受けるようになった『梵網経』である。

それで、拙僧どもはこの偈について、授戒には付きものだと思っているのだが、もしかするとその観念自体、そう古いものではない、と思うようになった。そこで、宗門授戒作法の中で、この偈がどのように採用されいているのか、確認しておきたい。

先に挙げた記事でも申し上げたが、道元禅師に係る授戒作法3本では、以下の通りとなっている。

・『出家略作法』 不採用
・『仏祖正伝菩薩戒作法』 採用
・『正法眼蔵』「受戒」巻 不採用


上記の通り、採用しているのは『菩薩戒作法』のみであって、しかも、伝戒をされた弟子を蓮華台に上らせて行われる儀礼、いわば弟子を盧遮那仏として仰ぐ儀礼の中で唱えられるものである。残り2本は、どう見ても出家時の作法であって、流石に出家したての者を仏として扱うには厳しい。よって、このような違いが出たのであろうと思う。

そうなると、この偈の採用・不採用は、作法自体の位置付けを判断する基準になるかも知れないと思うようになった。よって、この記事ではより後代の作法書の状況も確認しておくこととする。

・瑩山禅師『出家授戒略作法』 不採用
⇒道元禅師の『出家略作法』を少し変えたような内容で、思想的には変わった点はないから、この結果には正直安堵した。

・面山瑞方禅師『得度略作法』 不採用
⇒こちらも道元禅師の『出家略作法』を基本としている作法書で、思想的には変わった点はないから、当然の結果といえようか。

・逆水洞流禅師『剃度直授菩薩戒儀軌』 採用
・同『在家血脈授与式』 採用

⇒ともに採用されている。特に逆水禅師は「直授菩薩戒」を主張した方であるため、『梵網経』を重視する思想が反映されたものか。その際、どのような文脈になっているのか、前後を含めて見ておきたい。

 上来十六条の仏戒、三帰・三聚浄戒・十重禁戒、此れは是れ〈中略〉此の事是の如く護持すべし。
 次に血脈を授けて、唱えて云く、
 「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じうし已る、真に是れ諸仏の子なり」〈三返、偈中に新戒は頂戴三拝す〉。
 次に普回向〈新戒は左右の大衆に向かって謝拝。合三拝〉。
    『剃度直授菩薩戒儀軌』、『続曹洞宗全書』「禅戒」巻・136頁上段、訓読は拙僧

 仏法僧に帰依する時、諸仏の大戒を得ると称す。此れは是れ〈中略〉此の事是の如く護持すべし。
 次に血脈を授けて、唱えて云く〈受者、偈中に頂戴三拝す〉、
 「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じうし已る、真に是れ諸仏の子なり」〈三返〉。
 次に普回向、聖像前に三拝して退く。
    『在家血脈授与式』、『続曹洞宗全書』「禅戒」巻・136頁上段、訓読は拙僧


両者の内容は、若干の字句の同異はあるものの、ほぼ同じであることが分かる。よって、逆水禅師の作法には、上記の通り、「衆生受仏戒」偈が採用されている。しかも、何故これを採用したかはよく分からない。ただし、何となく分かるのは、「授脈⇒偈文読誦」という流れであるということで、この部分は、『菩薩戒作法』との共通点があるといえなくもない(あらゆる事象を簡略化しているが)。でも、実際にそんなものなのかもしれない。

・黄泉無著禅師『永平小清規翼』「沙弥得度」項 採用
⇒こちらは、沙弥から正式な比丘とする授戒作法なのだが、菩薩戒を授け終わった後で、「衆生受仏戒」偈を唱えている。前後の文章を簡単に見ておきたい。

 上来十支浄戒、今身より仏身に至るまで、汝能く持つや否や〈答えて云く、能く持つ、三問三答、前に同じ〉。
 是の事、是の如く持つべし〈弟子、三拝〉。
 〈次に本師、戒脈を開いて、師資の名字を照らして、弟子に授く。弟子、頂戴して、懐中に納め了る。本師、焼香して唱えて云く〉 「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じうし已る、真に是れ諸仏の子なり」〈弟子、三拝焼香して、互跪す〉。
○次、回向文〈本師、界方を鳴らして焼香して云く〉・・・
    『曹洞宗全書』「清規」巻・426頁上段


黄泉禅師は文章が若干相違するけれども、ほぼ逆水禅師の作法に近いことが分かる。

上記結果を受けて、江戸時代に入ってくると、いわゆる得度作法にも「衆生受仏戒」偈を唱える場合があると理解出来たが、拙僧つらつら鑑みるに、やはり「衆生受仏戒」偈については、或る一定の傾向があると分かった。

なお、現状の『行持軌範』に於ける作法はどうであるか?「得度作法」や「在家喪儀法」などは、昭和25年の『昭和改訂曹洞宗行持軌範』から採用されているため、同本を参照してみたい。

・出家得度式 採用
・寺族得度式(在家得度式) 不採用
・檀信(徒)喪儀法 採用
・授戒会の各衆登壇 採用


この4作法の内、何故か寺族得度式・在家得度式のみは採用されていない。なお、採用されている得度式・喪儀法は、先ほどと同様「授脈⇒偈文読誦」の流れである。授戒会の場合は、「十六条戒授与⇒登壇時に偈文読誦」である。よって、上記内容から、「衆生受仏戒」偈の採用について、以下のように分類した。

(1)道元禅師は『仏祖正伝菩薩戒作法』に於いて、「十六条の仏戒」を受けた者を登座(これが後に授戒会の登壇へ)させ、「衆生受仏戒」偈を唱える行法を伝えた。その後に授脈。
(2)江戸時代の逆水洞流禅師は、(1)とは異なる「授脈⇒偈文読誦」という流れの作法を提唱した(ただし、逆水禅師が典拠とした作法書が存在する可能性を否定しない)。
(3)授戒会は、(1)の流れを受けて、戒弟を登壇させ偈文読誦してから授脈。
(4)現行の得度式は(2)の流れを受けたか、偈文読誦してから授脈。


以上である。なお、これらの結果、『修証義』を編んだ大内青巒居士が、以下のように述べた理由も、分かる気がした。

入位と申すは仏の仲間入をする事で御座いますから是が何宗にも論無く仏教徒の目的で御座いませう。其目的の入位をするには各宗に色々流儀があろうけれども我宗では受戒を標準としなければ成らん。〈中略〉入室嗣続を為さる時に、仏々祖々の正伝なりと云て、お伝へなさるのは何々で御座いますか。伝法嗣続と伝戒相承の二つの外には何も御座いますまい。然るに其伝法嗣続して嗣書を受けると云ふことは出家分上に限る事で、之を在家の老若男女に授けると云ふことは出来ん。然らば、仏祖正伝で有て、在家の老若男女にまで授けられる者は伝戒相承の儀式に依て戒を授け、血脈を授与すると云ふより外は何も無いでは御座いませんか。
    『曹洞扶宗会雑誌』第5号「修証義編輯の精神」


このようにあって、青巒居士は「受戒入位」という言葉を、『梵網経』の偈から導いた。そして、それこそが在家の安心を定めるものとして曹洞宗で重んじられていると考えたのである。更には「血脈授与」のことも指摘している。先ほどの、『仏祖正伝菩薩戒作法』や「得度式」「授戒会」などでは、順番こそ違うが、確かに『血脈』も授けられる。青巒居士は、そのことをよく知っていたということなのだろう。

そして、『修証義』や「檀信徒喪儀法」にも採用されているから、我々はどこか、授戒の後は「衆生受仏戒」偈を唱えるものだと思っているが、意外とそうではない場合もあると申し上げ、記事を終える。

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