つらつら日暮らし

彼岸会の俳句の話 其三(令和5年度春彼岸7)

ということで、拙ブログでは「けふ彼岸 菩提の種も 蒔日かな」という俳句について、江戸時代中期頃の馬場存義の作として強調している。一方で、ほぼ同じ内容の俳句を松尾芭蕉作だとすることは批判していた。それは、昨日までの記事をご覧いただければ良いと思う。

ところで、ここで1つ気になった。そういえば、とても似たような彼岸の俳句があるのである。それを見つつ、作者などを考えてみたい。

一切の理屈をぬきにして、せつせと働く人々の上に、大いなるみ親の慈光はかゞやいて居る。「まけよまけ、菩提の種も彼岸から」と言はれて居るが、仏道精進の勇気を覚え、仏作仏行に無上の法悦を感じつゝ、万象を生かし育て給ふ大いなるお力を拝む時、浄穢も苦楽も摂取の願力の陰には、迷へる小さな私の断見となつて、淡雪の陽光に消える如く影を没してゆく。
    真野孝信「おひがん」、『浄土 = Monthly jodo 20(3)』法然上人鑽仰会・1954年


さて、ここで「まけよまけ、菩提の種も彼岸から」という一句が引用されている。存義の俳句に似てはいるが、もう少し善行の精進に積極的な様子がある。これは、どうも、より仏教的な意味合いを重ねやすかったらしく、以下のような説法をした人もいた。

今度は「波羅蜜多」といふ言葉に就てお話しいたします。申すまでもなく波羅蜜多とは印度の言葉即ち梵語です。翻訳すると「彼岸に到る」といふことです。彼岸とは「暑い寒いも彼岸まで」といふあの彼岸と同じ文字です。ところが世間では彼岸といふと、たいてい一年中で一番時候のよいとき、即ちあの春秋二季の彼岸と思つてをりまするが、実は彼岸といふのは時候のよい時といふ意味ではないんです。ほんたうの意味の彼岸とは、さとりの世界のことです。「蒔けよ蒔け菩提の種子も彼岸から」で、菩提の種子を蒔く時節が彼岸です。感謝・報恩の生活を営む時節が、春秋の彼岸です。
    高神覚昇『般若心経講義 : 仏教聖典〈訂補8版〉』第一書房・昭和14年


こちらでも、彼岸の特色を示す俳句として、用いられている。それで、この2つの説法に注目してもらうと、両方ともに俳句の詠み手を紹介していない。もしかして、知られていないのかな?と思って調べてみると、こちらの句、作者は明確に分かった。

彼岸中和季節が上下国民和衷協同精神発揚の標識である。
俳人鬼貫の句に「蒔けよ蒔け仏の種も彼岸から」。とある。
国土安穏国際平和的彼岸思想の種蒔と培養とを怠る勿れ。
    三浦秋水『曼荼羅』三浦興世・昭和18年、293頁下段


本書では、先ほどから見ている俳句の詠み手を、「俳人鬼貫」だとしている。これは、上島鬼貫(おにつら、1661~1738)のことを指しており、この人も明治期以降には何度か全集などが刊行されていて、以下のような収録が見付かった。

  閑立和尚におくる詞
難波津や、天みつ北のかたほとり、砂原といふ所に、西方便と聞えし隠逸の行者あり。柴の扉をとぢて、甘露王につかへ、庭わづかなるにこと草を養ひ置て、をりをりごとの花をささげ明暮御名をこがるる声の、いとたふとかりければ、垣のそともをゆきかふ人、袖に露おかずといふ事なし。すべて此世に生るる輩、死る例をしり顔なるも、みなしらぬにやあらん。必死る例ある事をひじににとふてしれ
  まけよ蒔け仏の種も彼岸から
    上島鬼貫著・高木蒼梧編『鬼貫集』素人社・大正15年、123頁


どうやら、鬼貫本人が詠んだのは、以上のような句だったらしい。つまり、「菩提の種も」ではなくて、「仏の種も」であった。それから、これは閑立和尚へ贈った句だったらしい。ただ、この閑立和尚について、名前が出て来るのは鬼貫の句集ばかりであり、大坂の絵師であった牲川充眞との付き合いがあったことは分かったが、それ以上は分からなかった。

なお、今回、鬼貫の彼岸の句を調べていく中で、他の多くの彼岸の句を知ることが出来たので、また次の彼岸会などで見ていくかもしれない。今日までの春のお彼岸、墓参・寺参された皆さまは、善い功徳、それこそ菩提の種を蒔かれたと思う。

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