・俳句の日(コトバンク)
京都教育大学名誉教授の坪内稔典先生などが提唱され、1991年に制定されたのが「俳句の記念日」とのことである。
そういうことなので、今日は「仏教と俳句」という観点から記事を書いてみたい。とはいえ、俳句、元々は「俳諧」とも呼ばれ、江戸時代に連歌の発句のみ連句する様子を指したという。確かに、百人一首を含めてそれまでの和語の道歌といえば、和歌(短歌)の形式が主であり、俳句を詠んだ仏教者は、江戸時代以降しかいない、ということになる。また、俳人で仏教俳句を詠んだ事例も多いが、この辺は既に【8月19日 俳句の日】などで紹介したこともある。参照されたい。
ということで、仏教者で俳句を詠んだと言えば、すぐに思い付くのは、江戸時代末期の大愚良寛道人(1758~1831)であろう。なお、当方、良寛道人についてはそれほど詳しくなく、余り余計なことは申し上げるべきでは無いと思うのだが、良寛道人の実父である山本以南は俳人として知られた人だったということらしい。しかも、松尾芭蕉系(蕉風)だったという話もあるので、当方には何とも判断出来ないが、良寛道人の俳句(だいたい100首程度遺されたという)は、芭蕉に因むものもあるという。
それで、良寛道人の有名な俳句としては、やはり以下の1首を挙げておくべきだろうか。
ぬす人に とり残されし 窓の月
解説などでは、良寛道人の庵に盗人が入って、色々と盗んでいったけれども、窓から見える素晴らしい月だけは残った、ということである。「月」自体が、秋の季語とされるので、今の時期は、少し早いかもしれないが、立秋も過ぎた秋の季節なので、味わうには良い頃ともいえよう。
それから、同じ秋の俳句として気になるのは、以下の1首。
摩頂して 独り立ちけり 秋の風
「秋の風」というのは、文字通り秋に吹く風のことだが、全ての葉を散らす風であり、物寂しさを表すともいう。そうなると、ここで行われている「摩頂」だが、これは「頂をなでる」という意味である。そして、例えば『妙法蓮華経』「嘱累品」などに顕著なように、仏陀が弟子の頭をなでて、仏法を授ける意味がある。
そうなると、ここで良寛道人が誰かの「頂をなで」て、仏法を授けたことを意味しているのだろうか。この人、弟子いたかな?とはいえ、それが事実だとすると、仏法を授けると、弟子は独り立ちしてしまうので、寂しくなるな、という意味にもなり、通じることは通じる。
ところで、そういえば、良く良寛道人の辞世の歌、等とも評された1首がある。季語も秋のはずなので、見ておきたい。
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ
これは、晩年の良寛道人と交流した貞心尼の編集による『蓮の露』に収録されたものである(なお、原文は「柏崎市WEBミュージアム」で閲覧可能である。今回紹介するのは、その内43コマに該当する。変体仮名や崩し字については、昨年から「みを(miwo):AIくずし字認識アプリ(人文学オープンデータ共同利用センター)」などのアプリもあるので、活用してみては如何だろうか)が、どうも、これは良寛道人独自の俳句とは見なされないらしい。理由は?と思っていたら、貞心尼自身が、以下のような経緯を記していた。
生き死にの さかひ離れて 住む身にも さらぬわかれの あるぞ悲しき 貞
御かへし
うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ 師
『蓮の露』、ただし実際の原典は変体仮名で書かれているので当方で見易く改める
このように、貞心尼が詠んだ和歌に対する返歌としての位置付けなのである。つまりは、貞心尼の歌の内容に因んでおり、その意味付けも含めて、理解されるべきものだといえる。そのため、貞心尼自身が、以下のように注記している。
こは御みづからのにはあらねど 時にとりあひのたまふ いとゝゝたふとし
同上
つまり、先ほどの「うらを見せ」の返歌について、良寛道人自身のものではないとしつつも、時に釣り合う言葉を述べておられたので、とても、とても尊いものだ、というコメントを付している。繰り返しになるが、良寛道人の俳句とはいえないが、自身が日頃から仰っていたことに契っている、という意味として取れよう。
そして、辞世云々だが、貞心尼とのやり取りは、まだ少し続くので、これをもって、辞世とか絶句とかするのは、どうなのか?と思う。今の当方には難しいが、しっかりと点検される必要があるように思う。
ということで、俳句に因んで良寛道人について論じてみた。
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