或結跏趺坐或半跏趺坐謂結跏趺坐先以右足安左䏶上左足安右䏶上半跏趺坐但以左足圧右䏶矣寛繋衣帯可令斉整次右手安左足上左掌安右掌上両大拇指面相拄矣 跏趺は跏は量ると注して元と足片なし、后に足片を添ることは麻の下に鬼を加へ渉の下に衣を加る如くなり、念誦法曰、礼諸仏已て全跏にして坐と云、又蓮花部念誦法門には四種の坐法あり、又護摩儀軌には五種の坐法あれども、不当用故不説降魔坐吉祥坐の――は先輩も誤り多故に略説せん、永平録撃節に引法花疏曰降伏坐以左押右吉祥坐以右押左足は将錯就錯なり、一切経の音義第二十六に曰、以右足加左䏶上以左加右䏶上此を降魔坐と云に手亦以左押右と云又半跏趺坐の左足を上に置くは吉祥坐にして左手を安右手の上、印は降魔也弁惑可笑指南に禅家の定印の左を上に案ずるは非法とあるも、諸の儀規を不普考の固執なり
7丁裏~8丁表
この一節は、よほど難しかったのか、とにかく面山禅師『聞解』の抄訳というべき内容である。正直なところ、面山禅師の見解を学んだ方が早い。そして、面山禅師の主張は、特に降魔座と吉祥坐の解釈について、従来の先輩が示した見解には誤りが多く、気を付けるべきだということである。そして、祖師正伝の坐法は「降魔坐」だという主張である。
前者は上記一節からも知られると思うが、後者については以下の説示を見ておきたい。
・祖師正伝の坐法の結跏趺坐の、先づ右足を安じ、左手を上に安ずるは、これ降魔坐なり、諸禅師多伝此坐と云はこれなり、また半跏趺坐の、左足を上に置は降魔なり、左手を右手の上に安ずるは経拠ををし、
・いま教示せらる仏祖正伝の行深般若は、観自在の照見五蘊、金剛三昧の降伏、其心にして身心脱落の法門ゆへに、右の儀軌と相応するか、仏陀婆利三蔵の修禅要訣に、右䏶左不得左䏶右也とあるは、降伏坐ばかりを示すなり、
ともに『普勧坐禅儀聞解』
前者については、いわゆる曹洞宗系の坐法の形を示している。先に右足を左股に載せることと、左手を右手の上に載せることを指している。一方で、半跏趺坐は足の形は「吉祥坐」だが、手の形が「降魔坐」であるとしている。
一方で、後者については、『般若心経』に見える「行深般若」としての「照見五蘊」は、金剛三昧の降伏だとしている。しかも、その心が身心脱落の法門だという。ただ、この辺の見解について、面山禅師『般若心経聞解』を確認したが、見解としては類似していない。よって、別のように考えなくてはならないが、いわゆる金剛三昧で邪義を降伏させることが、身心脱落の法門だったという。
そういえば、「弁惑」云々だが、浄厳著『弁惑指南』のことである。ただ、拙僧の拙い調べでは、どの文脈を指しているのか分からなかった。その内、『弁惑指南』については、ちゃんと読みたいと思っている。
ということで、自分の宗派の作法は、当たり前のように行っているが、一つ一つ考えてみると結構考えなくてはならないこともあるというのが難しいものだ。
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