建長五〈癸丑〉年、八月廿八日〈甲戊〉寅之刻に偈を示して、自書して云く・・・(以下、遺偈)
古写本『建撕記』
ここから、建長5年(1253)8月28日の夜半、道元禅師が亡くなられたとされる。正治2年(1200)のお生まれだったため、54歳の御生涯であった。現在の曹洞宗では、日を改めて9月29日に「両祖忌」とするが、拙ブログでは今日8月28日を道元禅師の忌日として記事を書く日としている。理由は以下の通りである。
8月15日⇒旧暦で瑩山禅師御遷化。ただし、「終戦の日」。
8月28日⇒旧暦で道元禅師御遷化。
9月29日⇒新暦で両祖忌。
ここから、9月29日を瑩山禅師御遷化の記事とし、8月28日を道元禅師御遷化の記事とした。今日は後代の児孫が、如何にして道元禅師をお慕いしていたのか、「疏」に見える讃歎の言葉から振り返ってみたいと思う。
浄法界の身、本と出没無し、
大悲の願力、去来を示現す、
仰ぎ翼くは真悲、俯して昭鑑を垂れたまえ、
某道某州云云、山門今月今日、恭しく
永平祖師大和尚大般涅槃の辰に遇う。
謹んで香華灯燭山蔬野茗の微供を具え、因みに合山の大衆を集めて恭しく真前に就いて、旋遶して大仏頂万行首楞厳神呪を諷誦す、集むる所の殊勲は、以て慈蔭の大恩に酬いる者なり。
右、伏して惟みれば、
日月の両眼、在世、第一天を照らし、
福慧の渾身、触処、三千界を動ず。
五十一葉の錦、五色梭新に、
八万余軸の宝、八面玉転る。
自在の遊戯、花月、那辺に喧を辞し、
法爾の神通、泉石、者裡に潔きを楽しむ。
名纏利鎖豈に繋かんや、格高うして俗の許巣に過ぎたり、
慧鋒智剣常に磨く、道大にして祖の龍馬に並ぶ。
遠孫何をか辨まえん、親奉惟れ勤む。
伏して冀くは、
無底鉢中の斎供、不受食外に容納せんことを。
謹んで疏す。
面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻4「永平忌疏」
江戸時代の学僧である面山瑞方禅師が著された「疏」になる。一応、面山禅師以前に流布していたであろう瑩山禅師『瑩山清規』中に見える「疏」とは趣が異なるため、別途作られた。そこで、面山禅師御自身は「疏」の製作法について、指示をしておられるため、確認しておきたい。
製疏法
疏ある法会は、維那は、五日以前に、紙を袖にし、書記寮に到りて書記に相見。触礼一拝云く、「某節近日到る。疏語の製作を煩す」と。書記、闕けば、書状侍者。書状、闕けば、古疏を用ゆ。書記、製了って草を住持に呈し、添削を乞い了って、親ら堂司に持参し、触礼一拝。与えて帰る。維那、疏を調え書す。初め歎仏より下の序は、維那の製、「右伏惟」より住持白仏の意。
同上
「疏」については、「書記」または「書状侍者」が「維那」の指示によって製作することが分かる。然るに、ここで担当者がいなければ「古疏を用ゆ」とあって、従来のを踏襲した。つまり、一々を最初から作る労力を考えると、容易には出来ず、もし、常に新たな「疏」を作らねばならないとすれば、本書に「製作例」を載せる必要がない。よって、文面自体は、既成のものを使って良いという話になり、ここで言われる「古疏を用ゆ」というのも、前年のものをそのまま流用して良い、という意味である(なお、清書は主に維那が、そして部分的に住持が行う)。また、一通の「疏」だが、内容には「維那担当分」と「住持担当分」がある。そして、「住持白仏」とはされるが、実際には「白仏祖」であろうと思う。
僉疏法
侍者、預め筆硯を卓上に調え、維那の献疏を伺って、住職の前に安ず。住職、自筆に僉す。僉は、我が住所名号を題するを云う。
祝聖・楞厳会・施食等、十方三宝に係わる疏は、沙婆世界より僉す。三仏は、釈迦一仏に係われば、南閻浮提より僉す。達磨忌には、南閻浮提を除いて、大日本国より僉す。永平忌は、大日本国も除いて、東海道・西海道などより僉す。
同上
「僉(せん)」は、「そろえる」「ととのえる」の意味があるため、住持が最後、「疏」の文面を調えることを意味している。そこで、上記引用文に於いて注意されるのは、「疏」には必ず、今これがどこで唱えられたものかを示す地名の表記があるが、その内容を指示している。十方に関わる内容であれば、「娑婆世界」から書かねばならないが、今回は「永平忌」であり、既に日本国内であることが明らかなため、国内の大きな地名から書いて良いということになる。なお、今の曹洞宗は国際布教の関係で海外にも寺院があり、そちらで道元禅師を慕って「疏」を認めるとなると、やはり「国名」から書かねばならないのだろう。
さて、今回紹介する面山禅師の「永平忌疏」だが、『僧堂清規』には2種類が収録され、上記の内容は2つ目である。おそらくは、それまでに面山禅師が編まれた「疏」の中から、厳選して収録されたのだろう。そして、主な内容は以下の箇所になる。
日月の両眼、在世、第一天を照らし、
福慧の渾身、触処、三千界を動ず。
五十一葉の錦、五色梭新に、
八万余軸の宝、八面玉転る。
自在の遊戯、花月、那辺に喧を辞し、
法爾の神通、泉石、者裡に潔きを楽しむ。
名纏利鎖豈に繋かんや、格高うして俗の許巣に過ぎたり、
慧鋒智剣常に磨く、道大にして祖の龍馬に並ぶ。
ここは、一つ一つ見ていきたい。
日月の両眼、在世、第一天を照らし、
最後の「第一天を照らし」は、道元禅師の「遺偈」から引用したもので、「第一天」の解釈は様々だが、普通に『倶舎論』などから考えれば、「四大王衆天(四天王の在す天部)」になる。つまりは、四天王を在世の仏祖が照らし、その返照・回向で、この世界が護持されることになる。
福慧の渾身、触処、三千界を動ず。
福徳と智慧とで満ちた全身は、触れるところの三千世界を動揺させる、という意味であり、前句と同じく「遺偈」に見える「大千を触破し」の影響を受け、道元禅師の福慧の功徳が、あらゆる世界に満ちることを意味している。
五十一葉の錦、五色梭新に、
「五十一葉」とは、インドで釈尊の直弟子であった摩訶迦葉尊者から数えて、道元禅師に至る祖師の数を表現しており、祖師方の優れた伝灯を「錦」だとしている。そして、「五色梭」とは、「錦」を織る時に用いる織機の部品のことで、横糸を通すための「シャトル」を意味するが、それが「五色」と色取り取り(これで、欠けたる功徳が無いことを意味する)であり、常に新たになるとする。伝灯とは、ただ古を守るだけではなく、その都度の祖師が新たに紡いでいくものである。
八万余軸の宝、八面玉転る。
「八万余軸の宝」とは、仏陀の説法の「八万四千の法門」を喩えたもので、道元禅師の優れた説法を表現しており、それが「八面玉転る」に見える如く、自由自在に展開していたことを讃えられた。
自在の遊戯、花月、那辺に喧を辞し、
道元禅師の道業が、まさに自在に戯れる(仏法に於いて自由自在)ことを意味し、その悟りを表す花と月は、喧しい都会を離れて、山中に豊かに開いていることを示す。永平寺に入られたその英断を讃えられた。
法爾の神通、泉石、者裡に潔きを楽しむ。
そして、法そのものの神通によって、その山中にある泉水も庭石も、道元禅師の仏法の内にあって、高潔なる様子を表したとする。これは、無情説法を意味していると理解すべきだろうか。
名纏利鎖豈に繋かんや、格高うして俗の許巣に過ぎたり、
道元禅師は名利心を徹底的に批判しており、我々自身も常にそれへの落ち込みを注意しなくてはならないが、御自身は名利によって繋がれることがなく、その格の高いご様子は俗人の許・巣(許由と巣父)よりも遙かに優れているとする。この「許由と巣父」については、とにかく名利心を嫌う喩えである。
慧鋒智剣常に磨く、道大にして祖の龍馬に並ぶ。
慧の鋒(ほこ)、智の剣を常に磨かれて切れ味に優れ、その仏道の大なるは龍馬の如き祖師方と並ぶ優れた徳を示したのだ、と面山禅師は讃えられた。
このように、「疏」はその讃えるべき相手の優れた徳を示すことを主眼とし、それを維那が好声を以て唱えることで、報恩供養の法要である「永平忌」実施の目的を果たす。然るに、我々児孫はこの法要の他に、道元禅師を讃える方法があるのだろうか?それこそ、報恩の坐禅がある。或いは、宗風を護持・宣揚するために、『正法眼蔵』などを参究することであろう。
今日は永平忌であり、それに因んで報恩の坐禅を行ぜられることは、とても良いことだと思う。今朝、拙僧は既に坐ってみた。南無高祖承陽大師、合掌。
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