凡そ西方・南海出家の人、創めて相見するときは、問て云く、「大徳、幾夏ぞ」。
答えて云く、「爾許」。
若し同夏なるときは、何れの時に在ると問う。
若し時同じければ、幾日を得ると問う。
若し日同じければ、食の前後を問う。
同じく食前に在れば、方に其の影を問う。
影、若し殊有れば、大小、異を成す。
影、若し同じならば、便ち大小無し。
坐次、則ち、其の先に至るに拠る。
知事、乃ち彼に任せて前の差す、西方に向かう者は、必ず須く此を問うべし、支那の其の月日を記すに同じからざるのみ。然に那爛陀寺は多く是れ長時・明相、纔に出るとき其の近円を受く。意、同夏の中多く最大と為すに取る。
即ち神州の六月十七日明相纔に出るに当たる、後夏を得ざるに由る故に〈此は西方坐夏の法に拠る、若し神州の旧行の如きは、即ち五月十七日に当たるなり〉。
若し六月十六日夜、将に尽くさんとして、受戒する者は、則ち同夏の中最小なり、其の後夏を得るに由るが故に。
『南海寄帰伝』巻3・4丁表、原漢文、段落等は当方で付す
さて、簡単に意味を採ってみよう。
まず、西方(インド)や南海(現在の東南アジア)の出家者は、お互いに初めて相見するときには、「大徳よ、どれくらいの夏(出家してからの年齢、いわゆる夏臘)なのか?」と問うという。それに対して、まずは「だいたいこれくらい」と曖昧に答えるという。
しかし、もし、同じ「夏臘」であったとすれば、前回採り上げた「五時」の内、何れの時に出家したかを問い、「五時」で同じだった場合には、更に「日付」を問い、それでも同じであれば、食事の前後(要するに、午前か午後か)を問い、午前・午後まで同じだった場合には、日時計の影の形を問うという。
非常に微細なところまで問うた結果、坐る順番を決めるのである。当然に、先に出家した方が先輩なので、その点を忘れてはならないのである。
そこで、知事(僧の立場について司る者)は、西方に向かおうとする者がいれば、上記の「出家の時間」を明確にしておくべきだという。しかも、中国で用いられている時間の記録法と異なっているので、義浄はその辺を注意していることになる。おそらくは、義浄自身が現地で苦労されたのだろう。
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