然るに、かつて「宝くじ」は「富籤(とみくじ)」と呼ばれていたのだが、これは江戸時代の中期くらいまでで、江戸時代の後期は禁止されていた。その詳細は以下のサイトなどを見ていただければ良いと思う。
・天下御免の富くじ(宝くじ公式サイト)
そこで、上記サイトを見ると、「天保の改革」が行われていた天保13年(1842)に禁止され、政権が変わった後の明治元年(1868)にも「太政官布告」によって禁じられたとある。なお、この禁制は、天保から考えれば103年間続いたという。無論、「闇富籤」は横行したようだ。そこで、今回は以下の一節を見ていくことで、「富籤禁止」がどのような影響を及ぼしたかを見ておきたい。
第一款 富籤を禁ず〈明治元年十二月二十三日布告〉
富(籤)興行の義は兼て御禁制に之れ有る処、近年諸国に於て金銭融通を名とし、或は社寺再建等に托し興行致す候向も之れ有る趣、元来澆季の弊風、僥倖の利を以て民心を誘惑するより自然農工商共に其の職業を惰り、往々之れが為めに家産を破り候者も少なからず哉に相聞へ、以の外の事に候。斯く御一新の折柄、右様の所業、殊に御趣意に相戻り候義に付、更に厳禁仰せられ出し候事。
横田忠郎『現行諸罰則釈義』下巻(岡島真七・明治18年)431頁、カナをかなにし読み易く改める
このように、明治中期に到っても、富籤が「金銭融通」や「社寺再建」などを目的に行われたものとして、認識されていたことが分かる。そして、禁止された理由は、澆季(末法、くらいの意味)の時代となって、僥倖(運やツキがあること)の利益でもって人々の心を誘惑することにより、自然と農業・工業・商業の者が仕事に身が入らず、結果として家の財産を潰し、破産する者も多いので、維新を迎えたこの時代になっても江戸時代までと同様に禁止する、という話なのである。
拙僧のような立場だと、寺院再建のための方法として行われていた「富籤」が禁止されたということで、とても残念な感じがしているし、これもまた仏教弾圧の一環か?とまで思える。そういうと、「社寺」とあるから神道も一緒だろうという方もおられるかと思うが、当時の神道は、がっつり税金が流れ込む状況であったので、現代的な視点で見てはならない。
なお、こうなると売る方は勿論罰せられたのだが、買う方も罰せられた。
第二条
凡そ富籤を購買したる者は其の価を払ひたると未だ払はざるとを問はず二十日以上四月以下の重禁固に処し、四円以上四十円以下の罰金を付加す。
『太政官布告』明治十五年・第弐拾五号、カナをかなにするなど見易く改める
以上の通りである(なお、販売した方への罰は、大体上記の2割増しくらいだと思っていただければ良い)。しかも、富籤の購入について、代価を払っていなくても罰せられたのである。再犯については、初犯を下回る罰は無いと定められ、また、富籤の「密告」をした者には報奨金として「支払われた罰金の半額」が貰えたという。
或る意味、これが一番合法的な「当選」だったような気がする・・・
ということで、「くじの日」に因み、どうでも良いような話であったが、論じてみた。
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