四月十四日の斎後に、念誦牌を僧堂前にかく。諸堂、おなじく念誦牌をかく。至晩に、知事、あらかじめ土地堂に香華をまうく、額のまへにまうくるなり。集衆念誦す。
念誦の法は、大衆集定ののち、住持人、まづ焼香す、つぎに、知事・頭首、焼香す。浴仏のときの、焼香の法のごとし。つぎに、維那、くらいより正面にいでて、まづ住持人を問訊して、つぎに土地堂にむかうて問訊して、おもてをきたにして、土地堂にむかうて念誦す。詞云、
竊以薫風扇野、炎帝司方、当法王禁足之辰、是釈子護生之日。躬裒大衆、粛詣霊祠、誦持万徳洪名、廻向合堂真宰。所祈、加護得遂安居。仰憑尊衆念。
清浄法身毘盧舎那仏 金打
円満報身盧舎那仏 金打
千百億化身釈迦牟尼仏 金打
当来下生弥勒尊仏 金打
十方一三世一切諸仏 金打
大聖文殊師利菩薩 金打
大聖普賢菩薩 金打
大悲観世音菩薩 金打
諸尊菩薩摩訶薩 金打
摩訶般若波羅蜜 金打
念誦功徳、並用廻向護持正法土地龍神。伏願、神光協賛、発揮有利之勲、梵楽興隆、亦錫無私之慶。再憑尊衆念。十方三世一切諸仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。
『正法眼蔵』「安居」巻
要するに、4月14日の斎(昼食)後に、僧堂及び諸堂の前に「念誦牌」を掛け、夜に至ると知事が土地堂に香華を設け、大衆が集まってきて念誦を行うのである。念誦の作法だが、まず住持が焼香し、続いて知事と頭首が焼香する。道元禅師はその際に、「浴仏の時の、焼香の法のごとし」とされるが、「浴仏」とは4月8日に行われる釈尊降誕会のことで、その際の両班による「出班焼香」と同じように、この念誦でも焼香が行われるのである。
さて、念誦文は、『禅苑清規』巻2「結夏」項からの引用である。まずいきなり「炎帝、方を司り」と出てくるが、この「炎帝」とは中国に於ける「五天帝」の一で、四季の内「夏」を司る。よって、今回は「夏安居」であるから、炎帝の加護の下、法王(釈尊)による禁足(寺から出ないこと)が制定され、それは釈氏(仏教徒)にとって、護生の日となる。
そのため、大衆は霊祠(土地神の祠)を詣でて、万徳なる偉大な名前(仏・菩薩の尊称)を唱え、それを合堂の真宰に回向し、安居を加護してくれるように祈るのである。そして、大衆とともに「十仏名」を唱えている。回向文では、正法を護持する土地神・龍神に祈りを捧げ、大衆達の修行に利益があるように願い、「梵楽興隆」するように願っている。
この「梵楽」だが、中国の諸清規では「梵苑」となっており、いわば安居が行われる寺院が興隆するように願っている。正直なところ、そちらの方が意味も通る気がするが、「梵楽」も同じ意味で採れば良いだけか。そして、末尾に「略三宝」を唱えて終わる。『禅苑清規』でも「十方等」とあって、同じ様子だと理解出来る。
なお、拙僧どもは曹洞宗では上記の通り、初期教団の時代から「念誦」をしていて、その際に祈る対象は「土地神」や「龍神」などである。更に『永平寺知事清規』などからも分かるのだが、以前そのことを或るところで書いたら、道元禅師がそういった祈りなどをするはずがない、とかいう不思議な反論(?)が来たことがあった。しかし、主著の『正法眼蔵』にも上記の通り見えるので、「土地神」への祈りを否定することは出来まい。
神への祈りを要するほどに、「安居」の無事円成を願っていたのである。
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