なんじ仏子、五辛〈大蒜、革葱、慈葱、蘭葱、興渠〉を食することを得ざれ。是の五種、一切食中に食することを得ざれ。若し故らに食する者は、軽垢罪を犯す。
『梵網経』巻下「食五辛戒第四」
以上の通りである。しかし、それでは「五葷」はどこに出てくるのか?最近の『大蔵経』検索サイトで調べてみると、「五葷」は中国明代以降の文献にしか出てこない。前述の「禁葷酒入山門」について、黄檗宗到来以降だという話があるので、明代から「五葷」が一般化したというのは、納得出来る話である。
ただし、「葷」と「辛」とを近い意味で用いるのは、その遙か前から確認されることで、例えば以下の一節もある。
五辛は葷菜なり〈葷は臭気を謂う、一に葱、二に薤、三に韭、四に蒜、五に興渠なり〉。
霊芝元照『四分律行事鈔資持記』上一上
よって、「五辛」と「五葷」とを分ける意味は無いといえばその通りで、先に挙げたように、明代以降に使われるようになった「五葷」について、以下のような解釈も見られるようになる。
五辛とは、即ち五葷なり。五腥に非ざるなり。
寂光『梵網経直解』巻下之一
こちらも明代の『梵網経』の註釈書なのだが、以上の通りである。それで、気になるのは、「五腥」とは違うと明言されていることである。この「五腥」とは何か・・・と思ったら、上記文献くらいにしか出ていない。そもそも「腥」とは「なまぐさ」の意味なので、関連用語ではあり、例えば以下の一節も見られる。
如不応食〈謂く酒・葷・腥なり。葱韭蒜薤園荽、葷と曰う。諸肉味、腥と曰う。並て不応食なり〉。
『勅修百丈清規』巻5「護戒」項
なお、「護戒」の項目は『禅苑清規』を踏襲しており、もちろん「不応食(食べてはいけない物)」の内容も見られるのだが、それを「葷」や「腥」のように分類しておらず、そのため、宋代から元代に至るまでに、「不応食」の内容が整備された可能性があるといえる。
ということで、雑談程度で記事を書き始めたが、思ったよりも色々と判明したように思う。拙僧自身、どこか「五辛」と「五葷」を混同していたが、混同自体は問題が無いことが分かった。
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