大宋宝慶元年乙酉五月一日、道元、はじめて先師天童古仏を妙高台に焼香礼拝す。先師古仏、はじめて道元をみる。そのとき、道元に指授面授するにいはく、
仏仏祖祖面授の法門、現成せり。これすなはち霊山の拈華なり、嵩山の得髄なり、黄梅の伝衣なり、洞山の面授なり。これは仏祖の眼蔵面授なり。吾屋裏のみあり、余人は夢也未見聞在なり。
『正法眼蔵』「面授」巻
以上の一節は、曹洞宗の高祖・道元禅師(1200~1253)が、中国(当時は南宋)に留学しておられた頃、天童山で当時の住持であった如浄禅師(1162~1227)に初めて相見した時の様子を伝えられた言葉である。道元禅師は、この如浄禅師によって指授された言葉を、端的に「この面授の道理」と示されている。
つまり、面授とは仏仏祖祖が伝えられた法門であり、釈尊・摩訶迦葉尊者・達磨尊者・二祖慧可尊者・五祖弘忍禅師・六祖慧能禅師・洞山良价禅師と嫡嫡相承されてきたのである。しかし、もしかすると、ここに具体的な内容が無いという人がいるかもしれない。だが、その場合、ここで指授面授されているのは、正法眼蔵涅槃妙心そのものである。よって、特定の事象に具象化させた瞬間に、離れてしまうものである。
よって、この一節を、道元禅師の直弟子達は、以下のように註釈している。
是は天童、開山に指授面授せらるる御詞也、釈尊と迦葉との拈華、初祖・二祖の得髄、五祖・六祖の伝衣、洞山の面授等、是等をあげて、仏祖の眼蔵面授也と被示なり、吾屋裏のみあり、余人は夢也未見聞在也とあり、此詞を、など余方にもなからむと覚たれども、定天童の指授子細あるらむ、ゆるされざる祖師等是多し、是等いと面授の分なしと、ゆるされざる心地歟、
『正法眼蔵抄』「面授」篇
要するに、道元禅師の説示を、御自身は天童如浄禅師によって、単伝の正法眼蔵を指授面授されたが、余方には許されなかった祖師も多かったと批判されたというが、それよりも大切なのは、面授とは常に、「夢也未見聞在也」だということである。それは、その場にいた当事者性が、面授にとっての最大の構成要素となるためである。よって、道元禅師は「吾屋裏のみあり」ともされるが、これは宗我見ではない。面授とは、吾屋裏なのである。これを、他の系譜を出しているのは、1300年代に近付き、日本の禅の領域が、臨済宗を主流にしていたからかもしれない。道元禅師御自身も、臨済宗について、中国の大慧派批判という体裁で実施されるが、直弟子達は直接、日本にいた禅僧を意識せざるを得なかった。そのため、蘭渓道隆禅師や東福円爾禅師などを採り上げたのである。
さておき、面授の道理とは、吾屋裏のみありであるから、それを道元禅師の直弟子達は、以下のように註釈されている。
面授口訣と云事、師資相対してあるべき事也、今の面授の儀も、其姿なきにはあらず、但此面授の道理は、只一面と談也、釈尊と迦葉と拈華瞬目の姿を以て、はしにあけらるるが如く面授とす、迦葉は釈尊蔵身し、釈尊は迦葉に蔵身す、是を一面の面授とは云也、たとへば経巻知識に随て参学するとき、無師独悟といひ、吾亦如是、汝亦如是と云程の面授の道理なるべし、
同上
上記一節を理解する鍵は、面授の道理を「只一面と談也」としていることである。この「只一面」について、別の言い方を「蔵身」という。「蔵身」とは師資一体の時、師は資に蔵身し、資は師に蔵身することであり、これは「葛藤」巻で学ぶことが出来る。また、「蔵身」を弟子の側から言い換えて、「無師独悟」というのは、「法性」巻の説示である。「吾亦如是、汝亦如是」は六祖慧能禅師が南嶽懐譲禅師に向けて示したとされるが、「遍参」巻などを学ぶと良いと思う。道元禅師御自身は、御自身の著作を相互に参照されたりはしないが(貴重な例外は『弁道話』に於ける『普勧坐禅儀』への言及である)、直弟子達は註釈作業を行う時、専ら七十五巻本系統『正法眼蔵』を縦横無尽に参照されている。
そして、そこには幾つかの共通する道理が見られるためである。「面授」には、「只一面」「蔵身」「無師独悟」「吾亦如是、汝亦如是」などと展開する道理が連なっている。このように、各道理に導かれながら、徐々に「正法眼蔵」の奥に入っていくのである。しかし、意外と「只一面」の道理に入ることが難しいかもしれない。
申し遅れたが、「只一面」の道理は、「古鏡」巻を学ぶと良いのである。今日は「面授」の道理から入り、「面授」巻を学ぶとしても、そこから七十五巻本という体系自体に開かれていくため、まずは祖師方の学び方に倣うべきなのである。
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