つらつら日暮らし

明日は釈尊涅槃会(令和6年版)

明日2月15日は、釈尊涅槃会である。そこで、その準備について論じた文脈を見ておきたい。

二月十五日、涅槃会なり。力に随いて供具を弁ず。兼日、衆中の大小、山中の諸人、各おの七文銭を出して、涅槃仏を供養す。札上に之を貼る。庫下より之を勤めて、供具を調う。是れ永平の旧儀なり。供具弁備して後、上堂、例の如し、但だ拈香して云く・・・(疏は略す)
    『瑩山清規』「年中行事」


このように、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師が洞谷山永光寺山内行持をまとめられた『瑩山清規』では、涅槃会の準備として、各おの七文銭を出して、「涅槃仏」を供養すべきだという。この「涅槃仏」について、詳細は不明なるも、おそらくは「涅槃図」或いは「涅槃像」が山中にあったものと思われる。

入寺の日、即ち吉事有り、所謂涅槃像、加賀国野市の藤次、捨て入れ安置す、常楽我浄の四徳波羅蜜、慮わずして円満成ず、
    『洞谷記


このように、「涅槃像」が山内に持ち込まれたことが知られるのである。おそらくは立体像だったものか?ところで、先に挙げた「七文銭」には注意が必要である。以下の一節を見ておきたい。

仏祖忌に七文銭を出すを率銭と云ふ、率は朔栗切募也と注して、諸人を募て財をあつむることなり、銭を出すゆへに、出銭と云は誤なり〈中略〉瑩規に、兼日衆中大小、山中諸人、各出七文銭、供養涅槃仏、机上点之、自庫下勤之、調供具、是永平旧儀也と、これは他清規にもあることなれども、財の数見へず、七文銭と定めて率が、永平旧儀と云ふことなるべし、庫下よりすすむるが、永平の旧儀と云ことにはあらず、この率銭は合山大衆にかかるなれば、維那の号令にて、庫司に納むるが本式なり、
    面山瑞方禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻6「仏祖会行法考訂」


ここでいわれているのは、「率銭」である。ただし、用語としては『瑩山清規』には見えず、中国で編まれた『校訂清規』『勅修百丈清規』などに見られる。そして、「率は朔栗切募也」と、字訓を示しつつ、意味は「ひきいる」ことである。いわば、誰かが率先して銭を集めることを「率銭」というのである。

なお、先に挙げた中国の各清規の場合、「率銭」は主として「香」の購入に関わる用語だが、『瑩山清規』の場合は「銭」そのものの供養を意味しているように見える。その点、以下のような註記もある。

●率銭 即ち率財なり。
    『禅林象器箋』巻29


ただし、本書では「勅修清規告香に云く、堂司行者、衆銭を率いて、香の大小三片及び紙を買い、作図の費え、参頭に付して收す」ともあるので、やはり「香」の購入に関わる文脈を典拠としているのだが、『瑩山清規』ではこの「率銭」で「香」を買ったかどうかは判別できない。

それから、面山禅師が仰る「七文銭」という数の問題、「永平の旧儀」の解釈は、こう判断することにも合理性があるので、このまま頂戴しておきたい。なお、「七」とは「仏(六道を越えた存在)」を意味するため、やはり仏に因んで集められたと考えるのが良いと思うのだが、この辺、現状ではこれ以上広げようもないため、議論はここまでとして明日の釈尊涅槃会に備えたい。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ
#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事