まず、色々と見ていて気になったのは、以下の一節である。
その大悲は深遠微妙にして覆載せずといふことなし。一乗を究竟して彼岸に至らしむ。
『無量寿経』
以上だが、こちらは阿弥陀仏によって西方浄土に往生した「かの仏国に生るるもろもろの菩薩等」についての話である。ここを素直に受け取ると、浄土と彼岸について重ねられていない。浄土真宗の本願寺を実質的に創建した覚如上人には、以下の指摘もある。
「信心歓喜乃至一念」(大経・下)をもつて他力の安心とおぼしめさるるゆゑなり。この一念を他力より発得しぬるのちは、生死の苦海をうしろになして涅槃の彼岸にいたりぬる条、勿論なり。
『改邪鈔』第11問答
こちらの問答は、「二季の彼岸をもつて念仏修行の時節と定むる、いはれなき事」とあって、むしろ彼岸会の修行に対して批判的な印象を持つ文章である。その中に、「生死の苦海」と「涅槃の彼岸」という区分が立てられているが、ここも、浄土との関係性について理解ができない。
すでに一声称念の利剣を揮ひて、たちまちに無明果業の苦因を截り、かたじけなく三仏菩提の願船に乗じて、まさに涅槃常楽の彼岸に到りなんとす。
覚如上人『報恩講私記』
こちらは、仏陀の菩提の願船に乗れば、「涅槃常楽の彼岸」に到るという。何となく、仏陀の願船とあれば、涅槃常楽の彼岸とは、浄土のことかと思ってしまうが、そう結論付けることは容易にはできない。
結果として、中国で清代以降となるから、実質的にはかなり新しい時代に、以下のような説示が見られた。
念仏するは乗船するが如く、浄土に生ずるは彼岸に到るが如し。
ただし、こちらも気を付けねばならないのは、浄土が彼岸だといっているのではなくて、浄土への往生が、彼岸に到ったようなものだという喩えになっていることである。この辺を結論にしようと思っていたら、以下の一節を見出した。時代はやはり、中国清代の文献である。
彼岸 即ち浄土を指し、亦た極楽と名づく。蓮に九品有り、念仏者を摂して登る所の地なり。
こちらは、遠慮なく、彼岸とは極楽浄土のことだとしている。そうなると、この典拠が知りたいが、どうにも調べ切れないので、古い時代はそうでもないが、後代には彼岸と浄土とを結び付ける考えが指摘されたという話をすることが出来ようか。
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