つらつら日暮らし

11月29日「いい服の日」と仏教

今日11月29日は、語呂合わせで「1129=いい服」の日らしい(世間的には、「いい肉の日」の方が有名だと思うが)。

いい服の日(トンボ)

それで、敢えて「「いい服の日」と仏教」というタイトルにしたからには、今日は以下の一節を通して色々と考えてみたい。

この十勝利、ひろく仏道のもろもろの功徳を具足せり。長行・偈頌にあらゆる功徳、あきらかに参学すべし。披閲して速にさしおくことなかれ、句句にむかひて久参すべし。この勝利は、ただ袈裟の功徳なり、行者の猛利恒修のちからにあらず。仏言、袈裟神力不思議。いたづらに凡夫・賢聖のはかりしるところにあらず。おほよそ速証法王身のとき、かならず袈裟を著せり。袈裟を著せざるものの、法王身を証せること、むかしよりいまだあらざるところなり。
    道元禅師『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻


上記引用文は道元禅師が「法衣十勝利」を評した一節である。そして、十勝利の各項目の句句をしっかりと学ぶように促しておられる。もちろん、文字を学ぶだけでは無くて、自ら着ける御袈裟の功徳を正しく把握することが肝心である。では、この十勝利とはどのようなことなのであろうか。

 世尊、智光比丘に告げて言わく、法衣、体・色・量を本と為し、十勝利を得、
 一には、能く其の身を覆うて、羞恥を遠離し、慚愧を具足して、善法を修行す。
 二には、寒熱及以び、蚊虫・悪獣・毒虫を遠離して、安穏に修道す。
 三には、沙門出家の相貌を示現し、見る者は歓喜して、邪心を遠離す。
 四には、袈裟は即ち是れ人天の宝幢の相なり、尊重し敬礼すれば、梵天に生ずることを得。
 五には、著袈裟の時は、宝幢の想を生じ、能く衆生の罪を滅し、諸の福徳を生ず。
 六には、本、袈裟を製するには、染めて壊色ならしむ、五欲の想を離れ、貪欲を生ぜず。
 七には、袈裟は是れ仏の浄衣なり、永く煩悩を断じて、良福田と作るが故に。
 八には、身に袈裟を著くれば、罪業消除し、十善業道、念念に増長す。
 九には、袈裟、猶お良田の如し、能善く菩薩の道を増長する故に。
 十には、袈裟、猶お甲胄の如し、煩悩毒箭、害すること能わざるが故に。
    「袈裟功徳」巻


この一節の典拠は『大乗本生心地観経』巻五「無垢性品」(『大正蔵』巻3所収)となっている。そこで、意味についてはご覧いただければほぼご理解いただけると思うのだが、ただ御袈裟を身に着ける修行者のみならず、周囲の人までも良き功徳があることを理解出来よう。

拙僧的には、「三」で修行者としての姿を示現するため、見る者が歓喜し、邪心から遠ざかるというのが、重要だと思っている。僧侶が御袈裟を着けて街を歩くだけで、この辺が自覚されると思う。しかも、「四」で示すように、その御袈裟を着けた修行者を、衆生が礼拝すれば、天上界に生まれ変わるという。これは、世間で得られる最大の功徳である。

また、「五」以下は御袈裟自体が持つ功徳を示し、「五」などは御袈裟を着けるだけで、自らが仏法が説かれることを示す旗のようになり、衆生の罪を滅するという。「六」は壊色(御袈裟の色のこと)であり、五欲を離れるという。「七」は仏の浄衣であるから、煩悩を断滅して、良き福田になるという。「八」では、罪業を消除し、十善が増長する。「九」では改めて「良福田」が示され、菩薩道を増長するという。

そして「十」だが、御袈裟は「甲冑」のようであるという。これは煩悩の毒矢から、修行者の身を守るためである。関連して、【「忍辱鎧」について】という記事を書いたこともあるので、ご参照願いたい。

このように、「十勝利」の功徳を持つ御袈裟を身に着ければ、修行が進展することは勿論、世の人々にとっても役立つのである。これこそ、「いい服」そのものであり、とても有り難いことである。

仏教 - ブログ村ハッシュタグ
#仏教
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事