なお、禅宗寺院で端午の節句が行われる理由としては、中国の行事に由来し、五月の端(はじめ)の五日、つまり五月夏至の端(はじまり)の意味を持ち、端午の称は午月午日午時の三午が端正に揃う日に合わせて行事したという。このように五月五日を端午と明らかに称するようになるのは唐代以後のこととされ、宋代以後には天中節とも呼ばれた。五月五日の五時が天の中央にあたることと、この日の月日時の全てが数字の“一三五七九”の天数(奇数)の中央である“五”にあたることから、天中節と称するという。
この端午には廳香・沈香・丁子などを錦の袋に入れ、蓬・菖蒲などを結び、五色の糸を垂らさせた「薬縷(薬玉)」を作り、柱にかけたり身に付けたりして邪気を払って長命息災を祈った。また、薬狩と称して薬草を集めることも行われた。禅僧の上堂では端午(天中節)に因んだものがあるが、その中には、文殊菩薩が善財童子に薬草を集めさせる話を元に展開しているものが見られるのである。
さて、今日は以下の上堂を見ておきたい。
上堂。
今朝、又た是れ端午節なり。文殊・善財忙じて徹せず。
殺人・活人の薬霊ならず。自ら添える脳後三斤の鉄。
驀らに拄杖を拈じて卓一下して云く、
観音の妙智力、能く世間の苦を救う。
遂に擲下して云く、
是れ甚麼の鉄蛇、土に鑽入せん。
『大慧録』巻4
年代までは分析できてないが、中国臨済宗の大慧宗杲禅師(1089~1163)の語録から、端午節の上堂を引用した。それで、内容は、簡単に訳しながら、考えてみたい。
今朝は端午節であるが、文殊菩薩と善財童子がせわしなく動いていて、本来の役目を果たしておらず、善財童子が採ってきた薬草は殺人剣とも活人剣とも役に立たず、自ら、三斤の重さの鉄を添えるだけだ。
よって、急に杖を取り上げて、卓に一下していうには、観音の優れた智力が、よく世間の苦を救う、と。ついに杖を放り投げていうには、どのような鉄蛇が、土の中にドリルのように入るものか、と。
以上である。
そこで、この上堂が何を意味しているか、なのだが、端午節ではあるが、文殊・善財は未だしで、ただ観音菩薩のみ世間の苦悩を救うとしていることからは、そこに重視する気持ちがあると理解できよう。また、結語は修行僧たちの前に、杖の形で仏法を見せてみたが、実際には土の中に入り、そこにいるように、安易に見えるものではない、という意味であろうか。
ところで、端午の節句とはもちろん、「こどもの日」である。全てのお子さんの安寧なる成長を願う。
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