三つには、心を防ぎ過を離るることは貪等を宗と(為)す。
・・・意味不明。これを、直訳すると、「三つ目には、心を防ぎ、過ちを離れることとは、むさぼり等を宗(拠り所)としている(と観ずるべきである)」となるだろう。「むさぼり等をよりどころ」?ここがツッコミどころである。だけれども、「宗」という言葉を訳すと、どうしてもこのように理解してしまいたくなる。よって、疑義を呈さざるを得ないのである。一方で、臨済宗などでは、次のように読んでいるという。
三つには、心を防ぎ過貪等を離るることを宗と(為)す。
こちらで直訳すると、「三つ目には、心を防ぎ、過ちやむさぼり等から離れることをよりどころとする」ということになる。これはまさしく、「仏心宗」の名に相応しい読み方であり、何故、曹洞宗でこちらにしなかったのかが気になる。拙僧などは、明治期以降、臨済宗との違いを強調したい人が、無理に読んだ読み方か?なんて思っていたのだが、実はそうでもないらしい。よって、本日は、江戸時代の『赴粥飯法』の版本、及び江戸時代の解説書を読んでいきたい。
三つには、心を防ぎ過を離るゝは貪等を宗と(為)す。
『冠註永平元禅師清規』所収『赴粥飯法』、寛政6年(1794)
本来なら、寛文本を見たい所だったが、手に届く所に無かったので、寛政年刊冠註(穏達による)本を参照した。すると、現在の読み方とは若干異なっているけれども、ほぼ同じであることが分かる。であるならば、後はこれをどのように理解していくべきだろうか。それで、江戸時代に作られた、「五観の偈」の註釈を2本見ていきたい。
三、防心顕過、貪等為宗〈顕、一本作離〉
心を防ぐ等とは、『明了論疏』に云く、「出家先ず須く心の三過を防ぐべし。謂く、上味の食に於いて貪起きる。下味の食に瞋起きる。中味の食に痴起きる。此を以て慚愧を知らざれば、地獄・餓鬼・畜生道に堕つ」。
旭昌著『曹洞禅林粥飯日用鉢式』(元文6年[1741]序)、『続曹洞宗全書』「清規」巻所収、訓読は拙僧
これは、江戸時代中期に編まれた、「粥飯作法」の偈文などに関する註釈なのだが、詳しい意味は分からないけれども、『続曹全』の返り点を見ていくと、現在とほぼ同じなのだが、字句が違っていて、「心を防ぎ過を顕すは、貪等を宗と為す」となっている。これは、過を顕すことにより、よく懺悔・反省することを意味していよう。著者の旭昌師はこの一文を著すのに、『大蔵一覧』や南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』などを参照していることを自ら述べている(ただし後者については、『明了論事鈔』と表記している)。『明了論疏』というのは、真諦訳『律二十二明了論』(『大正蔵』巻24所収)の註釈である。
なお、違和感を覚えるのは、それらの著作では、「三、防心顕過、不過三毒」という「五観」を採用しており、この辺、旭昌によって合揉されてしまったのだろうか。なお、その場合の読み方は、「三つには、心を防ぎ過を顕せば、三毒過ならず」となろうか。意味は素直に通じる。
ということで、本文を考証していっても現状に影響を与えず、しかも、欲しい議論は解釈であると思われるので、その点について、以下の文献を参照してみたい。
第三に、防心離過、貪等為宗とは、受食のとき、著味の一念に三毒そなはることを知て、その三毒を防ぎ離れよと云意なり。この三毒の障り脱すれば、徳行自然に全きゆへなり。心を防ぐとは、三毒の心を防ぐなり。過と離るとは、三毒の過を離るなり。心は因なり、過は果なり。三毒ひとしけれども、食物に付ては、先ず貪心第一なれば、貪等為宗といへり。宗とははじめと云こゝろもあり、かしらと云こゝろもあるなり。等の字に瞋と痴とを含めり。
面山瑞方著『受食五観訓蒙』、『曹洞宗全書』「注解四」巻所収、カナをかなにする
これを読むと、現在の読み方で大きな問題が無いということになる。それは、「拠り所」としての意味ではなく、「はじめ」の意味で解釈している。そうなると、確かに真っ先に「貪り」の心を抑えていくべきだという意味となり、ここでの意味は通じていく。そこで疑問なのは、本当にそういう意味はあるのだろうか?諸橋『大漢和辞典』を参照してみると・・・そんな意味は無いようである。そのためか、面山師の解釈は、その後広く採用された様子が無い。
結論として、「五観の偈」の第三について、現代でも用いている読み方は、江戸時代には遡ることが可能であることが分かった。しかも、その読み方に基づいた、学僧の註釈も存在している。その上で、面山師のような解釈が出来れば、意味は通じるため、その線から参究を進めていくべきだといえようか。重ねて申し上げれば、本来、「五観の偈」は黙然・観法していたのであり、口称していたものではないため、読み方は伝わらなかったという話も可能である。