行者の落髪するに上堂す。
露柱、多年出家す。
燈籠、久しく已に落髮す。
仏殿、禁戒を堅持す。
三門、近く休歇を得る。
大事、本来平等なり、著すること無き清涼なる満月。
草木・叢林を度し尽くし、一に陽の和して斉しく発すに似たり、と。
下座す。
『古尊宿語録』巻27
意味だが、行者という身の回りを世話している若者が、落髪、つまり出家したのに合わせて上堂されたという。意味するところは、上堂が行われた法堂の様子を踏まえて、露柱は多年にわたって出家をしているし、灯籠もまた、久しく落髪し了っている。
仏殿は、禁戒を堅持しており、三門はすぐに悟りの境涯を得る。
仏道に於ける大事とは、本来平等であり、それは何のとらわれも無い清らかなる満月の丸さのようなものである。その満月の光は、草木も叢林も度し尽くすが、それはひとえに、太陽の光に和して、斉しくその光を出す様子なのである。
以上のように理解出来ようか。そこで、問題は目の前にある露柱や灯籠、そして、仏殿などが出家したり、禁戒を堅持していることであろう。これらは一般的には無情物のように思えるが、同時に仏道を良く表現した存在でもある。つまり、仏道を良く表現していることを、出家・落髪・禁戒堅持と表現しているのである。
要は、志を発して出家した行者に対し、良く仏道を体得するように促した教えであったといえよう。更には、そこに満月の光の様子を示すことで、行者自身もその光に照らされ、仏性によって導かれることを願ったともいえる。そして、当方としては、仏殿もなお、禁戒を受持するのであるが、我々自身もそれなら出来そうだ、ということであろう。何故ならば、我々自身の身体は、そういった無情的要素を具えているからである。
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