つらつら日暮らし

巨海東流禅師『普勧坐禅儀述解』参究⑱(令和6年度臘八摂心短期連載記事18)

拙僧つらつら鑑みるに、「臘八摂心」で、道元禅師の『普勧坐禅儀』(流布本)について、様々な解説を行ったのだが、その際には参照出来なかった、巨海東流禅師『普勧坐禅儀述解』について、嘉永7年(1845)の写本を入手したので、参究することとした。なお、引用に際しては、カナをかなにするなど見易く改め、誤字なども適宜修正した。

公案現成羅篭未到若得此意如龍得水似虎靠山 公案は天下の定法とやらるゝ御高札なり、支那に是を公案と云、中峰山坊夜話に公案は乃ち聖賢牘一其轍天下同其途之至理也云々、隠れなくそこにあるわと云義、宗門の公案は三世の諸仏の号令じや、分別の羅籠にとり込らるゝはづはないぞ、此の思量分別のあみかごさへなければ自由自在じや、龍の――如く虎の――似りじや
    9丁裏


これはほとんど、面山禅師『聞解』なのだが、略し方が余り適切では無い。何故こうなってしまったのかが分からない。なお、「天下の定法」云々は良いと思うのだが、「中峰山坊夜話」の部分が余り良くない。一番大事な語句が引かれていない。『聞解』の引用を確認しておきたい。

中峰山房夜話に云く、公案は乃ち公府の案牘の喩えなり。法の所在、而も王道の治乱、実に焉に係る。夫れ公は、乃ち聖賢の牘、其の轍を一にす。天下其の途と同ずるの至理なり。案は、乃ち聖賢の理と為すの文を起こすなり。凡そ天下に有る者は、未だ甞て公府無し、公府有る者、未だ甞て案牘無し。葢し取りて以て法と為すは、而も天下の不正を断ずるものなり。

以上が、『聞解』での引用だが、「公案は乃ち公府の案牘の喩えなり」が無いと、文章になっていないようだが、何故か『述解』は先の通りである。それから、「隠れなく」というのも『聞解』での提唱の通りなのだが、面山禅師は批判対象を明らかにしているように見える。

現成とは隠れはせで、そこにあるわと云ほどのこころ、今此はこれを心得ちがへて、公案を提撕すといへば、隠語を解く様に思ひて、どふも合点ゆかぬなど云族ばかりなり、天下の御高札が謎の様ならば、貴賤上下、万国一統の号令になるべきや、宗門の公案は、三世諸仏歴代祖師の、娑婆三千国土への号令なり、この祖意を参ずべし
    『聞解』


これと比べると、『述解』の略し方がやはり気になってしまう。なお、面山禅師は公案を解釈する際に、「隠語を解く様」にはしてはならないと仰っておられ、その理由として、「宗門の公案」とは、歴代仏祖による娑婆世界への号令であるとし、またその典拠として、『永平広録』巻1-60上堂を引用されている。

その典拠の解釈などはまた何かの機会に見ていきたい。何故ならば、「坐禅」から大分遠くなってしまったからである。

それから、巨海禅師による「分別の羅籠にとり込らるゝはづはないぞ、此の思量分別のあみかごさへなければ自由自在じや、龍の――如く虎の――似りじや」の御示しは素晴らしいと思う。ここは、『聞解』の略ではあるが、その内容が適切だと思う・・・いや、良くないのは分かっているんだが、徐々に『述解』への批評みたいな文章になっているな。

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