唐憲宗皇帝は、穆宗・宣宗両皇帝の帝父なり。敬宗・文宗・武宗三皇帝の祖父なり。
道元禅師『正法眼蔵』「光明」巻
これは、血縁関係上の「祖父」をいっていることが分かる。憲宗(778~820)は、唐王朝第14代の皇帝であり、皇太子の長男が若くして亡くなったことで仏教に深く帰依をした。晩年は精神的に疾病を発症し、そのために暗殺されてしまった人である。しかし、その実子である穆宗(憲宗の三男、第15代皇帝)・宣宗(憲宗の十三男、第19代皇帝)が皇帝となり、穆宗の実子である敬宗・文宗・武宗も皇帝となった。なお、中国仏教史上最悪の仏教弾圧である「会昌の破仏」は、この武宗によって引き起こされた。
さて、その武宗の世代からすれば、憲宗は祖父に当たる。道元禅師が指摘しているのは、そういうことである。然るに、以下の一節もある。
しるべし、二祖すでに孔老は仏法にあらずと通達せり。いまの遠孫、なにとしてか祖父に違背して、仏法と一致なりといふや。
『正法眼蔵』「四禅比丘」巻
この場合の「祖父」とは如何なる意味であろうか。「遠孫」に対して、「祖父」と出ていることから明らかなように、ここでは「お祖父さん」を意味しているわけではない。この文脈は、道元禅師が「三教一致批判」を展開する際に、中国二祖・慧可大師を讃歎している文章であり、二祖を「祖父」としているのである。つまり、ここで意味しているのは、「祖師」ということである。
祖師の見解に違反せず、正しく仏法を会得することを促しているのである。
夫れ以れば、宗門の祖父、大聖間出す。
『峨山韶碩禅師喪記』
こちらは曹洞宗大本山總持寺二祖・峨山韶碩禅師の御遷化に際して、当時の在家信者であった「前近江守秀信」卿が奉った祭文に記されている一節である。つまり、峨山禅師を讃えて「宗門の祖父」としている。これもやはり、「祖師」の意味で捉えるのが良いと思われる。
よって、以上のことから、禅に於ける用法として、「祖父」は、「祖師」の意味としてもあることが分かった。なお、関連した用語として、「祖父の田園」というのがある。この場合も、祖師が耕してきた田園、つまりは悟りの世界そのものを意味している。お祖父さんの田んぼ、という意味ではないと考えられる。
なお、これは拙ブログをご覧いただいている方はご存じだと思うのだが、仏法上の系図に於ける「お祖父さん」の位置付けに当たる人については、一般的に「師翁」という。道元禅師は、栄西禅師をそのように呼び、また、雪竇智鑑禅師についても同様である。この辺のことについては、以前、【道元禅師の「師翁」という人】という記事を書いているので、合わせて御覧いただければ幸いである。
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