つらつら日暮らし

『黄檗清規』に見る盂蘭盆会

『黄檗清規』とは、江戸時代に入り隠元隆琦禅師とその門派によって伝えられた黄檗宗(当時は、臨済正宗や黄檗派と名乗ったか?)の中でも、主として黄檗山万福寺で用いられた軌範である。その中で、「節序章第七」という一章があるのだが、内容はいわゆる「年中行事」である。そこで、7月を見てみると、以下の一節を見出すことができる。

七月
 十五日解夏上堂
 盂蘭盆報本大会を啓建す、
 〈中略〉自恣の日に至て、当午に和羅飯を設く〈華に自恣食と言ふ、五果を以て香飯を煮る、是れなり〉、鉢盂を以て之を盛り、仏前に安ず。
 大衆上供、跪いて盂蘭盆経を誦す、住持拈香、
 夜は瑜伽法食を放す〈或いは小庵院に住して会を建ること能ざれば、唯誦経の一日も可なり〉、
    『黄檗清規』版本・33丁裏~34丁裏、おおむね原典に従って訓読


まず、七月十五日は解夏であり、自恣である。その日に「盂蘭盆報本大会」を立てるとしている。この「報本」であるが、『勅修百丈清規』などでは、いわゆる「三仏会」を指す言葉だが、ここでは先祖供養などを意味している印象である。そこで、準備の部分は略してしまったが、続く箇所は具体的な内容を指している。

まず、自恣の日(7月15日)には、いわゆる正午の斎時に、「和羅飯」を設けるという。この語句は『盂蘭盆経』に見えるものだが、『黄檗清規』では、「華(中華=中国のこと)では、自恣食ともいい、五果で香飯を煮る」としている。そうなると、或る種の雑煮のようなものだったのか?とも思うのだが、中国で編集された註釈書を見ると、「和」の字を「訛」ともしていて、意味は取れていない印象ではあるが、飯そのものともしているので、雑煮でもいいのだろうか?或いは、かやくご飯的なものだろうか?

ただ、その「和羅飯」を鉢盂に盛って、仏前に安置された。

それから、大衆は上供諷経を行っている。その際には、跪とあるが、おそらくは長跪して、『盂蘭盆経』を唱え、住持は供養のための拈香を行っている。

問題は夜に行うという「瑜伽法食」である。これは、全く意味が分からなかったので、ちょっと調べてみたが、中国明代辺りには、この辺を研究する場合も見られる。

金剛の上師に稟けて、瑜伽の密典を行じ、普ねく一器の法食を施し、広く六道の煢魂を済う。
    永覚元賢禅師『禅林疏語考証』巻4「禅教平安修懺仏事」、原漢文


元々密教系の作法書などを見ていくと、「放瑜伽𦦨口平等甘露法食を設く」という一文があるので、この辺を永覚元賢禅師は受けていると思われる。更に、「矧んや如来瑜伽法食を受くる者、能く多劫の苦を免れ、而も善道に超生す」などと表現する密教系の文献もあって、具体的な功徳も示している。よって、隠元禅師がまだ中国におられた頃には、現地で密教系の影響を受けた「瑜伽法食」について行われていたことになるのだろう。

そうなると、やはり施食供養を基本に、盂蘭盆会を修行されている様子が理解出来る。ごく簡単な記事ではあるが、以上のような盂蘭盆会行事を確認してみた。

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