又香厳智閑禅師、かつて大潙大円禅師の会に学道せしとき、大潙いはく、なんぢ聡明博解なり、章疏のなかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし。香厳、いはんことをもとむること数番すれども不得なり。ふかく身心をうらみ、年来たくはふるところの書籍を披尋するに、なほ茫然なり。つひに火をもちて、年来のあつむる書をやきていはく、画にかけるもちひは、うえをふさぐにたらず。
『正法眼蔵』「渓声山色」巻、傍線
これは、道元禅師が『正法眼蔵』に引用した、中国禅宗の潙山霊祐禅師(771~853)と、その弟子である香厳智閑禅師(?~898)との問答である。教学仏教から転身した香厳禅師は、無分別なる悟りを重視する禅宗的な発想が出来ず、全てを思考の上で理解できると勘違いしていた。そして、そのような発想からは得ることができない領域の発想をするように師の潙山禅師から言われた香厳禅師は、結局何も答えることが出来ず、それまで自分が大事にもっていた経典などを全て焼き払ってしまうことになる。その時に言った言葉こそが、「画にかけるもちひは、うえをふさぐにたらず」であった。一般的には「画餅不(能)充飢」という漢語になっているのだが、いわば、経典が、仏教の悟りに到るにはかえって無駄なものであるという自覚を言葉にしたものであるといえよう。この後、香厳禅師は独りで庵に住んでいたが、或る日に掃き掃除をしていたところ、箒で払った石が竹に当たり、その音を聞き悟りを開いた。いわゆる「香厳撃竹」である。
この状況は、まさに「画餅」のもっとも基本的な使用法であると考えられるが、一方で道元禅師は別の巻で「おほよそ心不可得とは、画餅一枚を買弄して、一口に咬著嚼尽するをいふ」という使用法も見せている。これは、「心不可得」という概念は、画餅を噛み砕くようなものだというのだ。無駄なものを噛み砕くことが、心不可得=仏法であるという記述になっていることになる。一概には理解し難いが、道元禅師には「画餅」の名を冠した『正法眼蔵』の一巻がある。そこで、同巻の参究を経て「画餅」への見方を確認していこう。
道元禅師が『正法眼蔵』「画餅」巻を書いた時期だが、その写本の奥書からすれば、仁治3年(1242)11月5日であることが知られるが、京都の興聖寺にいた頃に書かれたものである。いわゆる道元禅師の初期から中期思想に関わる著作であり、75巻本『正法眼蔵』の第24巻として、その思想を表現したものである。そこで、「画餅不(能)充飢」への解釈を見ておきたい。
おほよそ、仮立なる法は真に用不著なるをいはんとして恁麼の道取ありと見解する、おほきにあやまるなり。
「画餅不能充飢」を「仮に立てられた存在は、実は無駄なものだ」という言葉だと理解し、例えば経論を学ぶことをただ無駄なものだと解釈することは、大きな誤りだという指摘である。つまり、香厳禅師が述べた「画餅不充飢」を、ただそれまでに学んできた経論が無駄だった、という嘆息として解釈するのではなく、むしろ「仏祖語」として好意的に解釈するのである。
画餅不能充飢と道取するは、たとへば、諸悪莫作、衆善奉行と道取するがごとし、是什麼物恁麼来と道取するがごとし、吾常於是切といふがごとし。しばらくかくのごとく参学すべし。
よって、以上の通り、仏陀の教え、六祖慧能禅師の言葉、洞山良价禅師の問答などの語句と同じものだと評しているのである。それでは、この「画餅」はどう把握されているのだろうか。その点を、道元禅師は「画」と「餅」の両方から正法を開示された。
米麺をもちいて作法せしむる正当恁麼、かならずしも生・不生にあらざれども、現成道成の時節なり、去来の見聞に拘牽せらるると参学すべからず。〈中略〉しかあればすなはち、いま道著する画餅といふは、一切の糊餅・菜餅・乳餅・焼餅・糍餅等、みなこれ画図より現成するなり。しるべし、画等、餅等、法等なり。このゆえに、いま現成するところの諸餅、ともに画餅なり。
画図の図は、頭に通じ、頭は、個物という意味であるが、図はそのようなものが来ても良いから、道元禅師もどのような餅=個物かは明らかにせず、おおまかに一切の存在という程度の意味で使っている。そして、「画図から餅へ」という方向性が指摘されているが、例えば、本来画としての餅を描くなら、使うのは絵の具であるし、本物の餅であれば、米などを用いるところであろう。しかし、道元禅師の「画餅」は米などを用いるとされているのである。
いはゆる、山水を画するには青丹をもちいる、画餅を画するには米麺をもちいる。恁麼なるゆえに、その所用おなじ、功夫ひとしきなり。
したがって、ここからは、現象するための「根拠」があるという事実と、我々自身に対して現象するという「効果」だけが問題になっていくのである。ただし、「根拠」とは「恁麼」という超越であるとされているため、特定の実体的な根拠があるわけではない。その意味では、根拠の有無とはここでは問題にされていない。現象自体が問題なのである。
恁麼功夫するとき、生死去来はことごとく画図なり、無上菩提すなはち画図なり。おほよそ法界虚空、いづれも画図にあらざるなし。
存在の生滅も画図であり、この上ない菩提も画図であり、それは法界虚空であるという。法界虚空であるからこそ、あらゆる存在が入る。これは、現象している事実を記述する以上、いわば現象がこの「画図」に入り込むのは当然でもあるが、それを道元禅師は敢えて示された。
不充飢といふは、飢は十二時使にあらざれども、画餅に相見する便宜あらず、画餅を喫著するにつひに飢をやむる功なし。
当然に、「画に描いた餅」なのだから、「画餅」をいくら食べても飢えを充たすことはない。しかしながら、そうであっても、「餅」を食べなければ、飢えを充たすことはあり得ない。例えば、道元の修行とは、悟りを目的に行われるものではない。むしろ、修行が悟りであるという「修証一等」だとしており、或いは修行とは、そのまま仏の行為であるという「仏行」だと示されたのが、以上の教えであるといえる。
飢えを充たすという「餅」は、それを食べているという事実(つまり、「修行」と解釈する)が重要であり、飢えが充たされるかどうかが問題なのではない。飢えを充たさない「餅」それが「画餅」であるとすれば、道元禅師の修行観である修証一等と一致するのである。
しかあればすなはち、画餅にあらざれば充飢の薬なし、画飢にあらざれば人に相逢せず、画充にあらざれば力量あらざるなり。おほよそ、飢に充し、不飢に充し、飢を充せず、不飢を充せざること、画飢にあらざれば不得なり、不道なるなり。しばらく這箇は画餅なることを参学すべし。この宗旨を参学するとき、いささか転物物転の功徳を、身心に究尽するなり。この功徳、いまだ現前せざるがごときは、学道の力量、いまだ現成せざるなり。この功徳を現成せしむる、証画現成なり。
そして、「画」「餅」「飢」「充」といった事象を明らかにすることが「学道の力量」である。「転物物転」という言葉がある。物を転じ、物が転じるということであり、改めて、本論の冒頭に挙げた意味が出てくるのだが、我々自身に於いて現象するとき、そこにどのように「物」が関わるかを、自らの身心によって明らかにすることである。坐禅人の修行とは、坐禅によって仏を見るようなことはない。坐禅は、我々自身を明らかにするのである。道元禅師はそれを「画餅不充飢」という言葉の解釈から理解を進められた。その内容は、まさに我々自身の行為そのものが生み出す、充実と欠如、その両方を看取した言説であったといえよう。充実が、修行の完成を自覚させ、欠如が次なる修行を生み出す。これが同時に行われるところに、初めて修行以外にその結果を求めない「仏行」が成立するのである。
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