今日は、そのような説法の一つを学んでみたい。
上堂。
去年の人、中秋の月を看る。
今年の人、中秋の月を看る。
今年の人、是れ去年の人なり。
去年の月、是れ今年の月なり。
還た、人有りて這裏に向かいて一隻眼を著得せん。
若し也た著得すれば、径山、半院を分かちて伊とともに住す。
其れ或いは未だ然らざれば、堂に帰りて茶を喫す。
『大慧録』巻2
中国臨済宗の大慧宗杲禅師(1089~1163)が径山能仁禅院で行った上堂である。この上堂だが、「中秋の上堂」とはなっていないけれども、内容と語録での順番からそう判断出来る。なお、この直前の上堂は、「圜悟和尚忌」となっているが、これは大慧禅師の本師である圜悟克勤禅師の忌日である8月5日に行われたもので、それに続いて行われたのがこの上堂(8月15日)である。
意味だが、既に去った歳の人も中秋の月を看た、今年の人も中秋の月も看る。その意味で、今年の人は、去年の人であるし、去年の月は、今年の月である。つまりは、新旧という分別を越えて、仏法の円かな働きを示すものといえる。
そこで、人がいて、この仏法の円かな働きに向かって一つの眼を著け得たとすれば、大慧禅師はその人にお寺を半分与え、ともに住するという。いわゆる「分座」ということである。しかし、もし、そこにまだ至らないのであれば、僧堂に帰って茶を飲むとしている。
中秋の名月に掛けて、弟子達の中から、首座の位に付くべき傑物を探したわけである。今日の名月、もし見る機会があれば、その円かなる様子から、仏法の様子を観取したいものである。
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