つらつら日暮らし

延寿堂という制度

修行中に疾病にかかったらどうなるのか?古来から禅宗では「延寿堂」という制度があった。

延寿堂の病僧の粥飯・牀帳・行者の類を使わしめ、並びに当に堂主と与に同じく共に照管し、病人をして失する所無からしめよ。
    『永平寺知事清規』「維那」項


このように、道元禅師の僧団には「延寿堂」が存在していた。これは、病気になった僧が居る場所であり、修行が出来なくなった者を一時的に保護するための施設でもある。現代であれば、いたずらに叢林内に置かずに、病院に置くべきだという見解もあるし、それは事実そうあるべきなのだろうが、しかし、一応古来は「延寿堂」が置かれた。この場所について、道元禅師の時代よりも更に古い時代に編まれた『禅苑清規』所収で、百丈懐海禅師の古意を集めたとされる「百丈規縄頌」では、以下のように示される。

疾病して三日を経れば、須らく延寿堂に帰すべし、
叢林の知事は、此に到り彷徨すること勿れ。


百丈禅師は重病人は延寿堂に置くべきだといい、叢林の知事がその場所に何度も入ることを誡めている。理由は少し分からないが、一部の病僧に懸かりっきりで、全体の僧を照管すべきなのを怠慢しては本末転倒と思われたものだろうか。よって、まずは延寿堂主という担当の僧に任せられていた。

ところで、延寿堂主に因む「看病」は、叢林内では固有の善行とされ、こんなエピソードが伝わっている。

嘉定のはじめ、隆禅上座、日本国人なりといへども、かの伝蔵主病しけるに、隆禅よく伝蔵主を看病しけるに、勤労しきりなるによりて、看病の労を謝せんがために、嗣書をとりいだして、礼拝せしめけり。見がたきものなり、与你礼拝、といひけり。
    『正法眼蔵』「嗣書」巻


これは、道元禅師よりも先輩になる日本人僧で、隆禅上座に関する記述だが、隆禅は伝蔵主という僧侶が病気になった際に、これを懇ろに看病したところ、そのお礼として、通常は見がたい『嗣書』を見る機会を得たという。そして、隆禅の配慮で、同じ物を道元禅師も拝覧されたのだが、ここに看病という因縁がある。おそらくは起居が出来なくなった伝蔵主に対し、その手となり足となり、或いは様々な洗濯物や汚物を洗うといった行いがあったのだろう。当時の病人は風呂にも入れず、当に着の身着のままだから、場合によっては不潔になっていた場合もある。しかし、それを厭わずに尊い修行をされたわけだ。そもそも看病とは、菩薩にとっての一大事である。

なんじ仏子、一切疾病の人を看れば、常にまさに供養すること仏の如くして異なること無かるべし。八福田の中、看病福田は第一の福田なり。若し、父母・師僧・弟子の疾病、〈中略〉百種の病、苦悩あらば、皆供養して差(=「癒」に同じ)えしむべし。しかるを、菩薩、悪心、瞋恨を以て、僧房の中、城邑・曠野・山林・道路の中に至り、病めるを見て、救わずんば、軽垢罪を犯す。
    『梵網経』巻下「第九不瞻病苦戒」


このように、看病を福田とし、「八福田」の第一だとされた。そして、その実践場所は延寿堂だったわけである。病を得てしまった僧侶も、これならば、しっかり看病してくれる人にお任せして療養することが出来たと思われるのである。

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