「胡散」だが、「烏散」とも表記するようだが、元々の「胡散」について、「胡」も「散」も「とりとめも無い」「でたらめ」などの意味があるから、「胡散」は同じ意味を持つ漢字を重ねた熟語になる。
それで、拙僧などは仏典を普段から読むので、漢訳仏典で調べてみたが、どうも「胡散」「烏散」は主要なものには用例が無いらしい。そうなると、比較的新しい言葉、或いは、日本で作られた熟語なのだろうか?
その点でも調べると、日本で出来た単語であり、しかも近世以降だという指摘も見られた。ただ、仏典にあそこまで見られないと、納得は出来る。それから、語源などを調べて見ると、これは漢語で「でたらめ」の意味を持つ「胡乱(うろん)」や、天目茶碗の「烏盞(うさん)」などから、「胡散」になったとする説があるという。
意味からすれば、「胡乱」じゃないのかな?とは思うが、「胡乱」だと仏典にもあるので使い方を見ておきたい。
馬師云く、胡乱より後三十年、曾て塩醤を喫することを缺せず。
『禅宗頌古聯珠通集』巻4
このように、中国禅宗の馬祖道一禅師の言葉に「胡乱」がある。これは、自身が仏道に通達せず、でたらめな状態からも、塩・醤(仏性か?)を喫しながら、仏道を歩んできた、という教えとなる。そして、道元禅師は「胡乱」の語を、ご自身の文章に組み入れておられる。
華時の前後を胡乱して、有無の戯論あるべからず。
『正法眼蔵』「空華」巻
こちらの意味は、やはり「でたらめ」である。
文字の法師に習学することなかれ、禅師胡乱の説、きくべからず。
同「光明」巻
こちらは、光明の説を誤って説いていた者達を批判して「胡乱の説」だとしている。意味は「でたらめ」で同じである。ところで、この用語だが、意外な用例が見られた。
胡乱塩醤兮、図箇料理、喫飽粥飯兮、洗箇鉢盂。
『永平広録』巻10-自讃12
道元禅師がご自身の頂相に対して詠まれた「自讃」の1つに、以上の通り「胡乱」が見られた。ただし、先に引いた馬祖道一禅師の言葉を意識しておられるのだが、胡乱なる塩醤(仏性)を、「箇の料理を図る」ことで、自らの仏道修行へと展開させたと述べておられる。その意味では、「胡乱」とは「でたらめ」ではあるが、かえって「無分別」の意味で捉えることも可能なのかもしれない、等と思った。
胡乱の説とは、劣也と云詞也、
『正法眼蔵聞書』「光明」篇
・・・いや、どうも拙僧は考えすぎだったようだ。まさに、胡乱だな。
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