復た次に、是の菩薩、慈悲心を生じ、阿耨多羅三藐三菩提を発し、布施し衆生を利益せんとし、其の須いる所に随いて、皆、之を給与す。
持戒して衆生を悩まさず、諸苦を加えず、常に無畏を施し、十善業道を根本と為し、余は是れ衆生を悩まさざる遠因縁なり。
戒律、今世に涅槃を取ると為す故に、婬欲、衆生を悩まさざると雖も、心、繋縛する故に大罪と為す。
是を以ての故に、戒律中、婬欲を初と為す。
白衣、不殺戒、前に在り、福徳を求むると為すが故に。
菩薩、今世に涅槃を求めず、無量世中に於いて生死を往返し、諸もろの功徳を修す。
『大智度論』巻46「釈摩訶衍品第十八」
まず、上記の文献は、鳩摩羅什訳『大品般若経』に対する注釈であるから、大乗仏教だし、菩薩の戒律としても「十善戒」などが想定されている。
その上で、簡単に訳してみると、菩薩は慈悲心を生じ、阿耨菩提を発して、布施し、衆生を利益しようとして、衆生が求めるものを、皆与えるという。
また、持戒をして衆生を悩ませることは無く、十善戒を根本としているという。他の振る舞いは衆生を悩ませてしまうという。
それから、比丘の場合は戒律を護持して、今世に涅槃を取ることを目指すため、婬欲などは他の衆生に迷惑をかけるわけでは無いが、心を縛るために大罪となる。よって、比丘戒の場合、戒律の内、婬欲が先に来ているのである。いわゆる「四重禁(四波羅夷)」である。
一方で、白衣(在家)の場合は、不殺生戒が前にある。これは、「十善戒」や「在家五戒」に共通する教えである。やはり、在家とは福徳を求めるからこそ、殺生は行うべきではないのである。
ところで、菩薩は厳密にいえば、出家でも在家でもあり得るが、今世では涅槃を求めず、無量の生死の間に諸々の修行を修め、その功徳を積むのである。
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