今日はぼあちゃんの3回目の命日。
あの子がいなくなってもう3年かという気持ちとまだ3年かという気持ちが同居してる。自分でもとても不思議な感覚。
去年の3回忌にはこんなことを書いた。で、今年は何を書こうかなとちょっと考えたんだけど、これまでずっと「○○年の今日のぼあちゃん」といった感じで書いているので、我が家に来てからの毎年の今日の日記を載せてみることにした。
2019年3月11日(月)
初っ端から残念なんだけど、この日のリアルタイムの日記はなかった。
ぼあちゃんのことをこのブログに書き始めたは2019年6月から。でも、最初の頃はたまにしか書いてなかった。書いてなかった日の分は、ぼあちゃんが亡くなってから他の記録をもとにできるだけ追記したんだけど、この日はこれだけだった。
14:28 給水:トマトジュース3倍希釈液0.7ml。
(2022年5月24日 18:12記述)
これ、確か拒食してた時だったと思う。
2020年3月11日(水)
ぼあちゃん、今日も朝起きて30分もしないうちに「お外出る~」。"魔法の絨毯"に飛び乗り、早々に"居間"のコルクに登ってお外に興味津々なご様子。
ベランダ側からガラス戸越しに撮ったので外のケージが写り込んでる。
「お外~お外~」。
今日はお日様たっぷりで朝から暖かいからだろうなと思ったけど、同時に、これは間違いなく💩だなとも思ってたw。案の定、ちょっと様子を見てたらグラスサーフィンを始めた。
ガラス戸を開けてやるとすぐに"トイレ主目的ネットケージ"に出て行き、
10分位フリーズした後、ブブッと言う音と共に💩。今日はきれいな尿酸(+ピンク色部分少し)と、1週間ぶりにしては少なめだったけど山盛りな💩。
外は暖かったけど💩が終わるとすぐにリビングに取って返し、そのまま廊下を"タッタッタッター"して寝室へ。
一通り寝室をウロウロしてまたリビングに戻り、今度はたっぷりのお日様でバスキング。
顎を目いっぱい膨らませたり、
体をパッツンパッツンに膨らませて、お日様をたっぷり浴びた。
体が暖まったらまた廊下を"タッタッタッター"して寝室に行き、
主にコオロギがいそうなところを物色(多分w)。
今日は💩もしたし「やっと復活か~」と思わせるほどアクティブで、「やっぱりお日様と気温の威力なのかな~」と、今までの心配が嘘のような状況。
でも、だったのはここまでで、
この後、大変なことが起きた。
ぼあちゃん、寝室をしきりにウロウロウロウロウロウロして、無窮動で暗い所を物色し続けていた。
儂はベッドの上にずっと寝転んでぼあちゃんを見張っていたんだけど、ぼあちゃんがいないであろうと思っていた方から起きようとして足をベッドの下に降ろしたら、
なんと、
そこに、
ぼあちゃんがいた!
踏みつけるまではいかなかった。ただ、もしかしたら蹴った感じになったかもしれないけど、一瞬のことだったので、儂にもどうなったのかわからなかった。
でも、足の裏にこの子の鱗の感触が確かにあったので、どこかにあたったのは間違いがない。
ぼあちゃんも相当驚いたようで、去年ヘリコプターにビックリした時のようにものすごい勢いで走り出し、バリケードにしていたネットを頭で必死に押してベッドの下に逃げ込もうとしてた。
そのままだとケガしちゃうので抱き上げた。そうしたら顎や体をいっぱいに膨らませて儂を威嚇。そのままママにバトンタッチして抱っこ。ママが抱っこしてた時も、初めのうちは儂が近づくと顎を膨らませて威嚇した。
その後、徐々に落ち着いてきて、儂がお詫びのペレットを見せると、最初は無視していたけどすぐに1個食べ2個食べしてくれた。
そして1時間程抱っこしてたらやっと普通の状態に戻ったきた。
ちなみに、これが、今日のように気を引きたい時とか食欲確認したい時とかにあげてるペレット。
その後、ママが抱っこしたままベランダに出てしばらく一緒に日向ぼっこ。
今日はお日様がいてくれて暖かくて本当に良かった。不幸中の幸い。
そして、儂にバトンタッチしたんだけど、やっぱりまだ儂の抱っこは嫌だったみたいで、下に降りようとした。
で、ベランダに直接降ろしたらママの後を追って部屋に戻り、そのまま廊下を"タッタッタッター"してママと一緒に寝室に。
あれだけ怖い思いをさせちゃった場所なのでちょっと心配だったけど、何事もなかったように、またウロウロし始めた。
ぼあちゃんが寝室でママと遊んでいる間、儂はベランダの"トイレ主目的ネットケージ"を片付けて、何ヶ月ぶりかに夏用の大きなネットケージをセット。
ママが寝室からぼあちゃんを連れてきてガラス戸の所に置いたら、意外とすんなり出て行き、まずケージの渡り廊下でフリーズ。
そして、周りの様子を伺うように少しずつ少しずつ渡り廊下を前に進み、
結局ちゃんと中まで入ってきて、
下界を見渡しながら日向ぼっこ。
なんだかんだで40分ほどここで日向ぼっこをして、12時をまわる頃に部屋に戻ってきた。
そして、今日はご飯もないしいろいろあり過ぎて疲れたのか、あるいはやっぱりどこか痛めてるのか、もう寝床を探し始め、
暗くて隠れられそうな所に入り込んで寝始めた。
でも、そういう所で寝てると冷たくなっちゃうし、今日はひどい目にあわせちゃったし、少し早かったけど2時前にママが抱っこ。
夕方、儂に変わったら、今度は嫌がらずにおとなしく寝てくれて、消灯時間にはケージの寝床に戻して就寝。
やっぱり、「私、今日パパに蹴られた・・・」って思ってたかなあ。
この後、しばらくの間様子を見てたけど、結局大事には至らなかった。
2021年3月11日(木)
今朝も昨日と同じような時間に目を開けた。ランプはその5分後位に点灯。
ランプが点いてからは昨日より意識がハッキリしてたみたいw。わりとすぐに頭も上がったし、パフィングも昨日より派手。まあ、これが良いことなのか悪いことなのかはわからないけど、少なくとも体を動かせるってことは良いことなんじゃないのかな。
昨日と同じ位の時間に寝床で動き出し、すぐに窓枠をペロ、ペロ。そのまま出てきそうな雰囲気もあったんだけど、シェルター前に移動。
今日はシェルターに入る気配は見せなかった。
9時10分にブリッジステージに登場。昨日はステージの上でウダウダしてたけど、今日はコルクに腕をかけてべランダの方をに身を乗り出してた。
10時半頃になっても下りてくる気配がなかった。ママが顎の下に残っていた皮を剥こうとしたら横を向いちゃったので、抱っこで動けないようにして皮を剥き、そのまま"居間"に下ろしちゃった。相変わらずのスパルタw。でもコルクには登らず、リビングをウロウロ。
午前閉鎖中の"屋根付き暗闇"の前で、「まだ開かないのかしら」なご様子で佇んでたところでご飯。葉っぱを見せたらすぐに釣られ、"居間"に置いてあったご飯を見つけて走り寄り、勢いよく食べ始めた。少し小休止が入ったけど完食。
食後はやっとコルクに登って日向ぼっこ。今日は陽射しが強く、コルクの上は40℃位になってたからすぐに降りるかと思ったら、なぜかそのままペッタン。
11時半頃に軽~くグラスサーフィンを始めた。今日は昨日ほど気温が高くなかったのでちょっと迷ったけど、そろそろ💩をしてほしいので、ガラス戸を開けたらすぐに出て行った。今日はまたいつものトイレ用ケージだったからか、すぐにバージンコルクに掴まって膠着。ところが、10分経っても20分経ってもそのまま動かない。頭は動かしてキョロキョロしてるんだけど、腕から下はコルクと床にペッタン。陽射しこそたっぷりだけど、風は冷たくて気温は22~23℃といったところ。仕方がないのでランプと風除けのビニールをセットしたけど、儂、結構ハラドキ。
外に出て50分ほど経った頃、やっと腰を上げ、前に乗り出すようにして膠着。10分位したら尻尾を挙げて💩。あ~良かった。
💩が終わって部屋に戻ったら、廊下を"タッタッタッター"して寝室へ。寝室をウロウロして廊下に出て、途中まで来てまた寝室へ逆戻りしてウロウロして、やっとリビングに戻って来た。完全にトイレハイ。
リビングに戻ると、またもや閉鎖中の"屋根付き暗闇"の前で待機。まだ1時前だったからここに入るにはちょっと早かったけど、「ねえ、まだあ?」なご様子に負けて閉鎖解除。そうしたらすぐに中に入ってうつらうつら。
"屋根付き暗闇"に入ってすぐは頭を挙げてたんだけど、2時前に見たら頭を下げて床にペッタンになってた。お腹の温度も低くなり始めてたので、早かったけど儂が抱っこ。抱っこした時間が早かったせいもあるとは思うけど、3時頃には大分色もきれいになってきてた。でもまだマントをめくると目を開ける。
なんとなく、いつもと少~し様子が違うかなという気もしたんだけど、ただ眠いだけなのか、それともどこか調子が悪いのか、この時間は区別がつかないからなあ。
4時頃にはきれいな黄色になって脱力。でも、少しマントをめくったままにしておくとまだうっすらと目を開ける。
これ、肉眼ではきれいな薄い黄色なんだけど、カメラの性能が悪くて色が正しく写らないのはホントに残念。
消灯時間にはケージの寝床に戻し、おやすみなさい。
この1年後に亡くなるなんて、この時は夢にも思っていなかった。でも、「この子がいなくなる」という漠然とした予感のようなものは常にあった。
2022年3月11日(金)
この日も日記は書いたし写真もある。でも、儂、未だにそれらを見ることができないので、この日のリアルタイムの日記は載せられない。
あの子が亡くなったのはこの日の午前2時半頃。そこで、あの子がまだ間違いなく生きていた前日からのことを儂の記憶だけを頼りに少しだけ書いてみることにした。
前日10日も"居間"の枕カバーにペッタンしてお日様を浴びてたと思う。でも、もう自分でケージから出てそこまでいく力はなく、儂かママが抱っこしてそこまで連れて行ったんじゃなかったかな。
この日の午後、ムスメがぼあちゃんに会いに来てくれたんだけど、ちょうどその前後だったか、痙攣のような発作を起こした。翌日は病院に連れて行く予定だったので、儂、先生にこの状態を見せなくちゃと思って必死に動画を撮ったのを覚えてる。
この後も同じような発作を間欠的に数回起こした。儂が「もうだめだな。。。」と思ったのはこの時だったかな。
夕方、いつものようにケージの寝床に戻して寝かせた。そして、今夜が山だろうと思ったので、ママと交代で夜通し付き添うことにした。
儂が先に寝て2時半頃に目を覚ました。そろそろママと交代しようと起き上がった矢先だった。ママが、「死んじゃったみたい・・・」と言ってぼあちゃんを抱っこして寝室に連れてきた。それから儂が抱っこしてリビングに戻り、儂の席でそのまま夜が明けるまでずっと抱っこしてた。
夜が明けてお日様が顔を出したので、最後にもう一度日向ぼっこさせようと思い、ぼあちゃんの顔をお日様に向け、ぼあちゃんの遺骸を"居間"の枕カバーの上に置いた。
ここまで書いたらやっぱり涙が出て来ちゃった。そして、なぜか儂の記憶にあるのはここまで。この後のことはまっくた覚えていない。
次に記憶に残ってるのは、あの子を解剖するかしないかでママと喧嘩になって儂が大声で怒鳴ったことかな。
あの子が亡くなるまでは、儂も、解剖して死因を調べてもらい、少しでも他のフトアゴの役に立てたいと思っていた。でも、儂、実際に亡くなったあの子を見たら、もうこれ以上辛い思いをさせたくないと思った。それでママと喧嘩になったという次第。
でもその後、ママやムスメとも話し、儂も落ち着いてきて解剖してもらうことに同意した。
ところが、せっかく解剖してもらったんだけど結局死因はわからず。写真も見せてもらって、「こんな状態は初めて見た」というのが先生からの説明だった。
これは初めて書くことなんだけど、儂、実はあれから「本当にそうなんだろうか・・・」とずっと思ってる。そもそも、あの子が体調を崩した時、儂があわててあの子を病院に連れて行かなければ、少なくともあの2ヵ月後に亡くなることはなかったんじゃないのかなとさえ思ってる。これが儂の最大の後悔。
もうこれ以上は書かないけど、儂が言わんとしてることはそういうこと。
そういうことも含めて寿命だったのかもしれないけど、それではとても納得できない、と、今でも思ってる。
いつもこのブログをご覧いただいている皆様、毎度ぼあちゃんの同じような写真ばかり貼っていてすみません。
でも、ぼあちゃんを失ったことは、自分でも驚くほど大きな傷になって残ってしまいました。自分の残りの寿命を考えると、おそらくこの傷は死ぬまで塞がらないだろうなと思っています。
それから、3月11日という日は大変なことが起こった日です。でも、自分にとっては、どうしてもそれよりもぼあちゃんを失った日ということの方が重く感じられてしまいます。本当に申し訳ないと思いますし、そんなこと許されないと思います。どんなご批判でもお叱りも甘んじて受けます。でも、これが自分の偽らざる気持ちです。
というわけで、この先もこうしてグダグダが続くかもしれませんが、これからも、ぼあちゃん共々よろしくお願いいたします。
2018年11月18日(月)
我が家にやって来て初めて撮った写真。
こんな嵐のような天候の中で
私は決して子供たちを外に出したりはしない。
誰かが子供らを戸外へつれて行った。
私はそれに対して口出すことさえ許されなかった。
こんなに荒れ狂う天候の中で
私は決して子供たちを戸外に送り出しはしない。
私は子供らが病気になりはしないかと心配だった。
今やそれはむなしい考えごとであった。
こんな恐ろしい天候の中で
私は決して子供らを外へ出したりはしない。
私は子らが翌朝亡くなるのではと気がかりだった。
それは今や心配することさえなくなった。
こんな恐ろしい天候の中で
私は決して子供らを戸外に送り出したりはしない。
誰かが子供らを戸外へ連れ出したのだ。
私はそれに対して口を挟むことさえ許されなかったのだ。
こんな荒れ狂う天候の中で
こんな嵐の中で
彼女らはまるで生家にいるかのように
もうどんな嵐も驚くことなく
神の手におおわれて
彼女らはまるで生家にいるかのように