復た次に、族姓子よ、四種の僧有り。何等をか四と為すや。
第一義僧、浄僧、唖羊僧、無慚愧僧なり。〈中略〉
云何が名づけて浄僧と為すや。諸もろの能く波羅提木叉具足戒を持つ者有りて、律の如く修行し威儀犯さず、是れを浄僧と名づく。
『大方広十輪経』巻5「衆善相品第七」
浄僧というのは、結局波羅提木叉(具足戒)を持つものだという。律の通り修行する者を呼ぶので、その通りである。なお、『法苑珠林』巻19と、『諸経要集』巻2に、それぞれ「十輪経云く」として引用されているのだが、『法苑珠林』は「浄僧」で、『諸経要集』では「清浄僧」となっている。
・・・何故か違っているが、「清浄僧」という表現を見てみた。
清浄僧とは、凡夫持戒の人、及び凡夫勝れたる者、是れを清浄僧と名づく。
『十誦律』巻30「八法中瞻波法第三」
これもやはり、持戒の人をもって清浄僧としている。
清浄僧とは、一切の凡夫僧、持戒清浄にして、衆に非法無し、清浄僧と名づく。
『薩婆多毘尼毘婆沙』巻2「結婬戒因縁第一」
律蔵の註釈書でも、持戒清浄をもって、清浄僧としている。
云何が清浄僧と名づくるや、比丘僧有りて、百千億数諸魔の沮壊する所と為さず、是れ菩薩衆の本性清浄なり。
『大般涅槃経』巻3「金剛身品第二」
先ほどの『十輪経』では「四種僧」の話だったが、『涅槃経』では「三種僧」の話で、「一者犯戒雑僧、二者愚痴僧、三者清浄僧」という3つを扱っている。その中で、「清浄僧」の定義は以上の通りとなっている。持戒が基本となった上での話ではある。それにしても、「菩薩衆」とあるが、「僧」は本来、複数の衆生を意味するから、「清浄僧」は複数の意味である。
自浄浄他、清浄僧と名づく。
『大般涅槃経義記』巻2
これも、自他ともに清浄なる様子を「清浄僧」としている。これも、持戒を基本とするが、自分だけではなく、他者の持戒も勧める様子だといえよう。
三、清浄僧。謂わく、内外の七賢、及び持戒の凡夫なり。
『斎経』
なるほど、大乗仏教で示す「七賢」が入っている。もちろん、菩薩の修行階梯を考えても、七賢は既に持戒の人である。よって、清浄僧という話である。ということで、「浄僧」或いは「清浄僧」について概観したが、まぁ、持戒の僧侶という話になるようである。それから、「浄僧」とは「世俗僧」とも呼ばれたが、それは【「世俗僧」のお話し】を参照されたい。
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