中秋
尊顔を瞻仰して各おの秋を得る、
光遍しし万閣と千楼と、
乾坤一盞灯明仏、
長劫未だ曽て油を減却せず。
『永福面山和尚広録』巻14「詩偈七言絶」
これは江戸時代の曹洞宗の学僧・面山瑞方禅師(1683~1796)の詠まれた、中秋の偈頌である。仄起式で韻は十一尤となっている。意味としては、尊顔の解釈が難しいけれども、月の光を仏陀に喩えていると捉え、月に仏陀の尊顔を仰ぎ、各々秋のまっただ中にいる。月の光は遍いて、あらゆる建物にも及んでいる。この天地は一杯の灯明の如き仏であるが、これまでの無限の時間で、未だかつて油が減ったことがないように、常に輝いている、とでもできようか。
まさに、満月の光が、この天地に遍いている様子を受けて、そのまま仏陀の普遍なる功徳を鑽仰する内容となっている。
そもそも、曹洞宗では、道元禅師が『正法眼蔵』「都機」巻を著された。このため、我々は「月」とは「都機」であり、「すべては(仏法の)働き」という会得が肝心となってくる。いわば、面山禅師は「光遍しし」のところで、十方に亘る月の光の働きを示され、更に「長劫未だ曽て……」と詠まれた第4句で、三世に亘る月の働きを示された。
三世十方に及ぶ普遍の月の働きを示されたのである。そして、その普遍の月の働きを直観させたのは、紛れもなく今日の満月そのものなのである。かつて、藤原道長が中秋に満月の円満なる様子と、自らの権力を掛けて「欠けたることもなしと思へば」と和歌を詠んだというが、満月の円満なる様子と、仏法の様子を掛ければ、まさに欠けたることなき道理として、我々は味わうことが出来るのである。
今日は、このようなことを学んでみた。そして、どうやら、今日は満月を拝めそうなので、それが何よりである。
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