そうなると、やはり今の成人式との違いが大きいわけで、その辺を疑問に思っていたわけである。ということで、元服の儀と成人式を繋いでくれるような情報があったので、それを参照しておきたい。
国民の成年式
封建時代に於て武士の間に行はれたる元服の制は之を破壊してしまつたが残念に思ふ。我が皇室に於ては近頃皇室成年式令なるものを制定せられ、儼乎儀式を定められた。甚だ結構なる次第である。其れに就て我国民も亦此の結構なる式に則り、成年を祝する一種の習慣を作るやうになりたいと思ふ。
沢柳政太郎『退耕録』丙午社・明治42年(1909)、61~62頁
こういう記事を見つけた。なお、この沢柳政太郎(1865~1927)という人についてだが、明治時代から大正時代に懸けて活躍した教育者であり文部官僚である。いわゆる日本の高等教育拡大の流れを作った人であり、自身が設立を唱えた東北帝国大学では初代総長を務めた人であった。
更には、成城大学を設立すると大正自由教育運動の中心的役割を担うようになる。この辺は、拙僧の実世界の研究でも少し関わってくる「八大教育主張」などにも関わるのである。
そういうような立場の人だから、上記引用文のような、「○○したいと思ふ」的な発言は、国策になった可能性があるわけで、よって、敢えて引用してみたのである。
そこで、先に挙げた拙僧の疑問はここから解決する。要するに、元服の儀については、武士階級の崩壊とともに、廃れてしまったというのである。しかし、子供が大人(成年)になるという儀式そのものの有効性は認めており、その事例の1つとして、「皇室成年式令」を挙げている。この法令は沢柳による上記提言の少し前、明治42年2月11日に公布されたもので、天皇及び皇室に連なる方々が成年となられたときの儀礼の内容を定めたものであった。
沢柳は、それを見ながら自らの考えを進めているわけで、皇室のみならず、一般の国民も同様の儀式を行うべきだと考えたようである。それで、沢柳自身は、その利点というか目的について、次のようなことを述べている。
・成年は人が一人前になったことを表する。
・家庭内において成年・未成年者に対する待遇を分けたい。
・未成年は親の言うことを聞くべきだが、成年はむしろ親から独立すべきだ。
・上記のことを明らかにするために、成年式を実施したい。
拙僧の適宜要約
以上である。なるほど、明確であるといえる。なお、沢柳にいわせると、実際にはその反対の場合が多いという。子供の頃は、わがままであっても、我が子かわいさにそれを認め、成年になってからは、親の言うことを聞かせてその従順たるを願う家庭が多いという。しかし、本来はその反対でなければならず、子供の頃こそ親に従順たるようによく躾け、また、教育を施して成年以降に社会に出るための準備をさせ、成年になったら、独立自由に事をさせるべきだというのである。
これはこの通りだと思う。まさに言うべきことのない内容だ。しかし、最近ではどうもこの辺が分かっていない親も子供も多い。しかし、かつての教育者の重い言動は、そんな我々の考えや常識をひっくり返してくれる素晴らしい内容だといえる。
ということで、今日、成人式を迎えられた皆さまには祝意を申し上げつつ、上記のような「成人式の起源」について、一言申し上げた。
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