四種の戒有り、
一に逮解脱戒、
二に禅戒、
三に無漏戒
四に断戒なり。
逮解脱戒とは、欲界の戒なり。
禅戒とは、色界の戒なり。
無漏戒とは、道倶生戒なり。
断戒とは、禅戒・無漏戒、其の事、云何。
欲界・欲九無礙道中を離れ、世俗に色を迴転す、是れを禅戒断戒と名づく。
欲界・欲九無礙道中を離れ、無漏に色を迴転す、是れを無漏戒断戒と名づく。
『阿毘曇毘婆沙論』巻10「雑犍度智品之六」
まずは、この辺から見ておきたい。なお、当方も一応、「禅戒」という用語が、「色界の戒」であることくらいは知っていた。そこで、以上のことから、禅戒が三界に於ける中間に位置することを確認しておきたい。そもそも「色界」とは、欲界よりは上、無色界よりは下という位置付けなのだが、内容も、欲界ほどの欲や煩悩には把われないが、無色界ほどの肉体や物質からの束縛を脱してはいない世界とされる。
もちろん、修行者としての境涯を指すわけだが、「禅戒」は禅定によって、この肉体を保持しつつ、煩悩を離れていく世界なのである。その意味で、禅戒とは中間的位置付けである。それが、もっと良く知られるのが「断戒」との関係性である。この「断戒」については、予備知識が余り無かったので、改めて調べ直したが、特に論書で多く用いられ、意味としては、上記のように他の三界の戒と結び付きつつ、その中で「断(欲を断つ)」機能を発揮することを指すようである。
よって、欲界と無礙道(無漏道)の両方から離れつつ、世俗に於いて「色」を迴転することを、「禅戒断戒」という。この「色」を迴転するとは、色に把われないのに、色そのものがある状態をいう。ただし、「世俗(欲界)」にあるので、つまりは、本来、「色界」の禅戒が、「欲界」で機能することを指しているのだろう。
一方で、同じことを、無漏界での「色」を扱うことを、「無漏戒断戒」というわけである。
なお、本書を更に詳しく見ていくと、「禅戒」について、更にその位置付けを知ることが出来そうなので、それは次回以降の記事で見ておきたい。更に、ここで用いる「戒」という訳語の意味するところも、正確に理解したいところである。
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