将に彼岸会の義を弁ぜんと欲するに、先他の所依の書を挙し、次に予が管見を述し後に諸家の雑書を拾聚す。
○初に他の所依の書と者 善住陀羅尼経等なり
末学の説は 法華直談 壒嚢鈔 類雑集 見聞随身鈔 諸廻向宝鑑 〈四部聖教〉彼岸記 〈浄土真宗〉百通切紙 日重愚案記 年中風俗考等の数部に文を引義を釈すと雖も一も取に足らざる者也。其中に諸廻向宝鑑に云ふ所を挙して弁明せん。自余の書、渾て風前草偃すが如くならん。
『彼岸弁疑』巻上、1丁裏~2丁表、カナをかなにするなど見易く改める
前回の記事でも、本書の著者は一般的な僧侶が、彼岸会を論じるに当たって、偽造の経論を使ったり、末学の説を使うことを批判しているため、まずは用いられる文献を列挙している。ところで、所依の経典として挙がっているのが『善住陀羅尼経』としているが、これは、『大宝広博楼閣善住秘密陀羅尼経』のことだろうか?
でも、『華厳経』系の経論では「善住陀羅尼」とは「聞く所の法を忘れざるが故に、善住陀羅尼力なり」などとあるが、これが何故、彼岸会を論じる際に用いられたのか、経緯や理由が不明。
末学の説については、だいたいこれまでの拙ブログの記事で使ったことがあるので、調べていただけると良いと思う(でも、1回載せて消したのも多いけど)。
気になったというか、これまで使ったことが無いのはおそらく2つで、『法華直談』と『日重愚案記』だと思う。前者は、天台宗栄心『法華経直談鈔』全20巻のことを指し、室町時代に成立し、江戸時代には何度か開版されている。同書第2巻に「十三 彼岸事」という一節がある。それから、後者は日蓮宗の日重上人によって編まれた『見聞愚案記』全20巻を指す。残念ながら、現段階で本文が見られなかったので、詳細は不明。
ただ、『法華経直談鈔』は「国書データベース」で画像が見られたので、採り上げておきたい。
一たび彼岸に到るの事、之に付す。此岸・彼岸・中流と云う事、之に有り。此の娑婆世界の江戸は、此岸也。さて衆生の一心に具足する処の煩悩は中流と也。此の煩悩の海河を渡て浄土の岸に至る処を彼岸とは云也。此の八万菩薩の同居瓦礫此岸を出て能く煩悩生死の海河を越て、実報寂光の浄土の彼岸に至る故に、是を彼岸に到ると云也。
彼岸に付て、二八月の二季の彼岸の事、夜摩天・都卒天の中間に中陽院に七葉樹と云木あり。此の木は二月に花開、八月には葉成也。此の木の二月の花盛なる時と、八月の葉熟る時と、三世諸仏此の木の下に集りて、一切衆生の善悪を紀し玉ふ也。此の相を梵天請取て摩醯首羅に渡り、々々々々請取て倶生神を渡す。々々々、閻魔王に渡す。閻魔王請取て、炎王判をすべて、炎魔官に之を置く也。故に善悪共に決定の業也。是を彼岸と名づく事は、二八月の花開き、葉熟の時に当て、善根を修すれば、三世の諸仏、能く知見し玉ふ故に、娑婆世界の物憂、此岸を出て弘願舩にさをさして、楽を極たる安楽浄土の彼岸に至る故に彼岸とは云也。
『法華経直談鈔』巻2・8丁表~9丁表、カナをかなにするなど見易く改める
この内容だが、『龍樹菩薩天正験記』を典拠とした『和漢三才図会』に酷似している。よって、中世で構築された彼岸会に因む世界観に則っていることは確認出来たといえる。よって、『法華経直談鈔』が編まれた時期の世界観を反映して上記の一節が書かれたとしても、矛盾は無い。文句というほどでは無いが、完全な日本式漢文なので、かえって読みづらいことは、一言注意喚起しておきたい。
まずは、以上のことが分かったので、今日の記事を締め括っておきたい。
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