是の如く聞けり、
一時、仏、舎衛の祇樹園須達精舎に遊び、大賢衆千二百五十人なり。仏、諸もろの比丘に告げ、「四雅行有り、智者常に遵い、丈夫修むる所、達士恒に奉り、不才の愚夫の好楽せざる所なり。
何等をか四と為すや、
父母に孝事し、悦色養足たり、
仁を守り慈を行じ、終始殺さず、
恵施し乏を済う、未だ曽て悋逆せず、
聖の世に遭値いて、栄を捐て道を履む。
是れ四雅行なり、智者の遵う所、丈夫の修むる所、達士の奉る所、不才の愚夫の好楽せざる所なり」。
『仏説進学経』
さて、まずは以上の通りだが、ここで説かれているのは、仏教の智者として行うべき「四雅行」である。具体的には、父母に仕え、仁や慈を行い殺生をしない、良く布施をして経済的困窮者を救い、しかもケチな振る舞いをしない、仏陀の在世時に遭えば、世間の栄達を捨てて仏道を歩む、という4つである。
何だろう?在家者向けなのか?出家者向けなのか?能く分からないが、不殺生戒や、不慳法財戒なども見える。以下、続けて偈頌の部分。
仏、時に頌して曰わく、
智者孝と称し、命を愍して慈活し、放施して普く給い、俗を超え崇寂す。
是の如きの正業、明士習う所、聖見已に具し、定めて無為に到る。
同上
そうか、これは、「四雅行」を略して述べたものであり、更にはそれを行うこと、或いは行う者を、尊崇するという話になっており、更にはこの行を通して、無為に到るという。続いて、末尾の経文である。
仏、比丘に告ぐ、「復た二法有り、若しくは閑宴に在りて、或いは処、大衆、心行に懈うくすること莫れ、
一には静寂、賢聖黙定たり、
二には博学、邃義を講論す。
又た二施有り、
飲食美味にして以て身命を安んじ、経典を敷散して開いて微かに聴くを悦ぶ。食施し身を安んじ、法施して神を遷す、一事快なりと雖も、法施を最と為す。
是を以てか比丘、妙法を念演して、慧を宣べて痴なる莫かれ、既に自ら洗濯して、并びに塵の著を浄めん。是の如きの道法、永く度すること窮り無し、乃ち出家と名づけ、覚了を具足す」。
仏、経を説き竟りて、比丘歓喜し、礼を作して教えを受く。
同上
さて、以上の末尾の部分を見ていると、「二法」「二施」を合計して4つの事柄が説かれている。そして、「二法」とは、禅定と智慧に対応しているが、気になるのは「博学」であり、「邃義を講論す」とあるが、奥深い意義を講義し論じるという意味である。
それから、「二施」については、食事の布施と、法施について説かれている。ただし、この内重要なのは「法施」であるという。この辺から、『進学経』という名前の由来が見えてきた気がする。つまり、比丘に対し、愚かさに陥ってはならず、智慧をもって自らの心行を浄めて窮まり無く説かれるべきだとし、それを出家と名づけるという。
つまり、出家は道法に詳しくないことがあってはならないのである。今回は、ちょっとしたことから、『進学経』なんていう名前の経典を読んでみたが、なかなか面白い内容であった。
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