つらつら日暮らし

巨海東流禅師『普勧坐禅儀述解』参究③(令和6年度臘八摂心短期連載記事3)

一昨日から臘八摂心である。普段は余り坐禅しないような方でも、この8日間は坐禅を行っていただきたいものである。臘八摂心の成立経緯などについては、【摂心―つらつら日暮らしWiki】をご参照願いたい。

そこで、拙僧つらつら鑑みるに、以前の臘八摂心で、道元禅師の『普勧坐禅儀』(流布本)について、様々な解説を行ったのだが、その際には参照出来なかった、巨海東流禅師『普勧坐禅儀述解』について、嘉永7年(1845)の写本を入手したので、参究することとした。なお、引用に際しては、カナをかなにするなど見易く改め、誤字なども適宜修正した。

 厡の略字なり、源と同意なり、厂は屵なり、岩の下たより水出る㒵なり、川下の人原はいづこぞと尋子窮てこゝぞと知る其儀を移して、字書に原は推原也と註す、今仏法の根元を説き示して仏々祖々の腹ら底を尋、直指単伝の源迄尋子見るに夫れと次へ、
夫道本円通争仮修証 仏祖の大道と云て別にない、本来本法性で本より具足し備て円満じや欠目はない、見たり聞たり夫れ七通八達と無碍自在なれば、別に争かどうして修証の外より求る証りが有るものぞ、人々眼横鼻直なることを、実によく徹底すべし、然し高く着眼、
宗乗自在何費功夫 宗は尊也、乗は運載を為義と注して三世の諸仏歴代の祖師も皆、此越格の宗乗にのり得て転身自在なれば、何の閑工夫費に及ばず、次の文え移り知るべし、然れども一超直入と勿言、
    3丁表


まず、『普勧坐禅儀』冒頭の「原ぬるに夫れ」の「原」について、字を解いて解説されているが、これは面山禅師『普勧坐禅儀聞解』そのものである。だが、本文の「道本円通争仮修証」からは巨海禅師の見解が出ている。例えば、「本来本法性」として仏祖の大道が元から具足していることを示しつつ、修証の外に求める悟りを否定するという修証一等(実質的に、これは本証妙修と言って良い)を挙げたことなどは、注目すべきかと思う。

それから、興味深いのが、「宗乗自在」の箇所で、「一超直入と言う勿れ」と否定しているが、実は『聞解』はこの見解であり、「三世諸仏歴代の祖師、皆この正宗に乗ずるゆへに、自在無碍にて、一超直入如来地なり」としており、或る意味解釈のカギとなっているのだが、そこを否定しているので、もしかすると、曹洞宗の坐禅に「一超直入如来地」は適さないと考えていたのかもしれない。

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