それはまづ彼国の人物に四つの差別がある。是をまづ心得にやなりませんが、夫はちやうどこちらの詞にたとへば士農工商と云やうなわけでござる。
まづ第一を刹帝利といふ、これは代々王となるべき家柄で、則月氏七千余国の国々の王となつているのでござる。
第二を婆羅門といふ、是は翻訳していへば浄き行と云ことで、則浄行とかく詞で国柄相応に有り来つた学問もして、段々家を伝へるものでござる。
第三を毘舎と云ふ、これは商人でござる。
第四を首陀と云、是は農業のことをする者でござる。云はゞ百姓でござる。
刹帝利、婆羅門、毘舎、首陀、これを天竺の四姓といふ。まづ此四つをよく心得おるべき事でござる。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』13~14頁、漢字を現在通用のものに改める
こちらは、良く知られているであろうカースト制度(或いはヴァルナとも)についての見解である。なお、カースト制度の違いについて、日本の「士農工商」と同じようなこととしているが、果たしてこれは正確なのだろうか?思想的な背景については、だいぶ違うし、また実際の運用についても、日本の場合は養子縁組という、それなりに人材の流動性を確保しうる方法が存在していたので、厳密に言えば同一というわけではないと思うのだが、生まれた家がそのまま身分を決めるという点では、同じようなものともいえるのかもしれない。
それで、この身分の並べ方については、漢訳仏典レベルでは篤胤と同じように、刹帝利(クシャトリア)が先に来る場合もあれば、婆羅門(バラモン)が先に来る場合もある。ただ、古い仏典は校舎である印象が強いが、確定できるほど、古い仏典に詳しくはないので、以上はここまでで擱いておく。
それから、個人的には「婆羅門」の説明が気になった。祭祀などを司る印象が強いのだが、ここではただ、学問をして家を伝えるということが強調されている。それから、「首陀(シュードラ)」についても、もう少し身分的な制限がある印象だったのだが、ここでは農業従事者としている。
これは、篤胤なりのカースト制度についての、方便的解説だったということなのかもしれない。
釈迦法師もすなはち此刹帝利の子孫でカビラエ国の浄飯王といふが子でござる。
前掲同著・17頁
以上の通り、釈尊については、「刹帝利」階級の出身であり、「カビラエ国」の浄飯王の子供であると示されているが、【前回の記事】の通り、篤胤の「カビラエ国」の場所の理解は、かなり独特で、問題もあると思われる。意図的ではないと思いたいが、かなり変わった説なので、その発言意図の在処を知りたいものであるが、今後の課題としておきたい。
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し
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