まずは、その戒の原文を見ていただきたいと思う。
なんじ仏子、仏滅度の後、好心を以て菩薩戒を受けんと欲せん時は、仏・菩薩の形像の前に自誓受戒(自ら誓って戒を受く)すべし。当に七日をもって仏の前に懺悔し、好相を見ることを得れば、便ち戒を得。若し、好相を得ずんば、応に二七・三七・乃至一年にも、要らず好相を得べし。好相を得已らば、便ち仏・菩薩の形像の前に戒を受くべし。若し好相を得ずんば、仏像の前にも受戒すれども、戒を得べからず。
『梵網経』下巻「第二十三軽蔑新学戒」
さて、ネット時代になり、またこの新型コロナ禍の結果、テレワークの技術も進展してくると、上記のような条件よりも、さらに具体的に「自誓受戒」が可能なのではないか、と思えてくる。また、以下の一節も見ておきたい。
三、仏滅度の後、千里の内に法師これ無き時、応に諸仏・菩薩の形像の前に在って、胡跪合掌して自誓受戒すべし。応に是の如く言うべし、「我某甲、十方仏及び大地菩薩等に白す。我れ一切の菩薩戒を学ぶ者なり」と。是れ下品戒なり。
『菩薩瓔珞本業経(下)』「大衆受学品第七」
以上の場合は、近くに菩薩戒を授けてくれる戒師がいない場合に、自誓受戒が可能であるとしている。よって、自誓受戒の成立条件は、幾つかある。
・仏滅後の後であること
・千里の内に法師(戒師)がいないこと
・仏・菩薩の像を前に懺悔すること
・好相を見ること
以上の結果、自誓受戒として菩薩戒が得られるのである。ただし、運用上、現代の状況では、「千里(3900㎞)の内の法師がいない」ということは、よほど非仏教的な国などに限られるであろう。参考までに、日本の国土を思うと、3900㎞から逃れられないので、頑張って誰かに直接授戒してもらうべきだということになる。
しかし、問題は具体的な距離というより、精神的な距離の方だと思う。寺院と関係が無い、或いは、戒を受けるべき戒師も知らないということもあるだろう。
ただし、上記条件について、実用上は「好相を見る」というのが、具体的に何であるかが気になるわけである。『高僧伝』などを見ていくと、菩薩戒に詳しかった人(曇無讖など)が、好相を得た者を見るとすぐに分かったらしく、一方で、その時の「好相」とは禅定中に、釈尊や諸菩薩から授戒してもらった様子を見たという。
そうなると、ネット時代であれば、上記の自誓受戒について、ただ自侭に受けたと自称するのではなくて、様々な通信手段を介して、戒師に認めてもらえば良いと思う。何故ならば、戒師の側こそ「好相」について理解しているからだ。それはネットを介しても問題無いのではないだろうか。
この辺は、また今後も検討する機会を得たいと思う。
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