何かの勘違いだろうか?ただし、「夏安居」としての「雪安居」があることに気付いた。今日はそれを見ていきたい。
諸もろの比丘有り、雪山中に在りて夏安居す。手・脚・頭・耳、皆な凍壊す。安居、已訖りて、各おの衣を執りて鉢を持し仏所に来詣す。頭面もて足を礼し、退いて一面に立つ。
仏知りて、故らに問うに、「汝等、何故に身体皆な壊するや」。
比丘、仏に白す、「雪山中、寒凍するが故に、是を以て皆な壊する」。
仏、問うて言く、「応に何等をか著して、身をして壊せしむるや」。
諸もろの比丘、仏に白して、「若しくは、脚に皮革を著し、鞾上に複衣を著すれば、応当に壊せざるべし」。
仏、即ち富羅を著くることを聴し、復た羅目伽を著くることを聴し、上に駒執を著くることを聴し、復た複衣を著くることを聴す。若しくは羊毛・駱駝毛、乃至、綿紵を用い、之を著くることを聴す。
『毘尼母経』巻4
ちょっと訓読は自信が無いが、大体の意味は掴めた。
まず、諸々の比丘がインド北方(ヒマラヤ?)辺りで「夏安居」をしていたが、寒すぎたので、手や足、頭や耳などが凍傷に陥り、損壊してしまったというのである。なお、凍傷について調べてみると、何度以下であれば必ず起こる、というようなものではないようですが、一般的には、寒冷地などで長時間低温に晒されることで身体の組織が凍結し、さらに解凍することで組織の傷害が起こるとされている。
おそらくは、この比丘達は仏陀が定めた衣服のみで、寒冷地で夏安居を行い、結果として凍傷になったのだろう。
さて、安居が終わり、雪山から下りて仏陀の下に参詣し、礼拝すると、仏陀自身もその比丘達の様子に違和感を懐いたようで、「諸君はどうして、そのように身体の損壊が起きているのか?」と尋ねられた。比丘達は、「雪山の中で安居し、寒すぎて凍傷になったので、身体が損壊しました」と答えた。
更に仏陀は、「諸君は一体どういう衣服を着けていて、身体が損壊したのか?」と尋ねられたが、比丘達は、足に革の靴を着けるなどし、また、複衣(重ね着用の衣服、いわゆる防寒具)を着ければ、凍傷になることは無いと答えたのであった。
そのため、仏陀は寒冷地に於ける安居では、様々な重ね着を行うことを認めたのであった。興味深いのはその材質にまで言及しており、羊毛やラクダの毛、綿などを使っても良いとしている。この辺、もちろん現代としては更に高機能の素材があるが、当時としては必要な素材が提示されていることに気付く。
同じような話は、他の律典にもあるようなので、僧伽が設置される範囲が拡大し、様々な気候条件に接することで、例外事項として拡大された軌則だったといえるだろう。
なお、今日は東北地方などで雪が強く降るかもしれない、などと予報が出ている。重々お気を付けいただくとともに、暖かくしてお過ごしいただければと思う。
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