つらつら日暮らし

正月の修正会についての雑考(令和5年度版)

昨年、【正月の修正会についての雑考】という記事を書いたのだが、その斜め上的な続編である。その記事に於いて、「修正月会」として行われた供養を考察したのだが、そういえば、栄西禅師『興禅護国論』を引用しながら、何の言及もしなかったことが気になっていた。具体的には、以下の記述である。

五・年中月次行事、謂わく、正月は羅漢会なり。
    『興禅護国論』巻下「第八禅宗支目門」


これは、中国の禅林の行事を伝えた記録だが、ここで、正月には「羅漢会」を行うという。そこで、この法会の意味と、目的について簡単に検討してみたい。法会の意義などについては、以前から『仏祖統紀』に関連する項目があることを知っていたので、それを見ておきたい。

供羅漢 仏、滅する時、十六阿羅漢に付属して、諸もろの施主の与に真福田と作す。時に阿羅漢、咸く仏勅を承けて、神通力を以て自らの寿量を延ばす。若しくは四方僧を請して無遮施を設け、或いは所住処、或いは寺中を詣でて、此の諸もろの尊者、及び諸もろの眷属、分散して往赴し、聖儀を蔽隱し、密かに供具を受け、諸もろの施主をして勝果報を受けしめよ〈法住記、始め賓度羅、終り半托迦なり。凡そ十六位〉。四大羅漢・十六羅漢を除き、余は皆な入滅す。
    『仏祖統紀』巻33「法門光顕志第十六」


まずは、以上の通りである。これは、中国で行われていた羅漢供養の経緯や、法会の根拠などを示したものである。この「十六阿羅漢への付属」については、玄奘三蔵訳『大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記』からの引用であることは、おそらくは良く知られていると思う。そこで、供養の方法としては、「若しくは四方僧を請して無遮施を設け、或いは所住処、或いは寺中を詣でて」とある通りなのだろう。

具体的な作法までは伝わらないが、基本、供養とは食供養であることが多いので、その通りであろう。「無遮施」については、羅漢に限らず、その施行に浴した人全てに食事などを施すことである。

さて、問題はこの内容だけでは、「正月」との関わりが出て来ないということである。なので、少し話を膨らませたいと思うが、或る禅僧に、羅漢供養に因む問答が残っているので、見ておきたい。

 師、因みに羅漢を供養す。
 僧有りて問うて曰わく、丹霞、木仏を焼く、和尚、什麼と為てか羅漢を供養するや。
 師曰わく、焼、也た焼著せず。供養、亦た供養に一任す。
 又た問う、羅漢を供養して、羅漢、還た来るや、也た無しや。
 師曰わく、汝、毎日、還た喫するや。
 僧、語無し。
 師曰わく、少かに霊利の底有り。
    『景徳伝灯録』巻16「翠微無学禅師」章


以上の内容であるが、こちらも、決して正月に関わるものではないが、禅宗で羅漢供養を実施しようとした一例である。そこで、上記の一節を頼りに、色々と検索してみたら、以下の一節を見出した。

 又た曰わく、東福寺、毎歳の修正、羅漢供を講ず。
 昔、明兆殿司、絵事に妙たり。曽て、五百応真を画く。一日、異人に遇いて、一軸の書を以て授く。往く所を知らず。展いて之を視るに、則ち羅漢供の祭文なり。時の人、以て画像の感応と為す。今に至るまで、東福の宝物と為す。故に此の軸、何人の書か識らず。
    無著道忠禅師『禅林象器箋』巻18「第十八類 祭供門」「羅漢供」項


これを見ると、京都東福寺で、毎年の修正として羅漢供養を行っていたという。よって、一応ここで正月の羅漢供養までは確認出来た。しかし、その意義などは判明しなかった。とはいえ、明恵上人の『羅漢講式』などを見ていくと、正法を護持してきた羅漢を讃歎し、現当二世の願いを叶えるように祈る法要である。

正月に行う理由は、それに尽きるように思う。

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