威儀節度、請教白事、進具の者と、体に二准無し。但だ律蔵に於いて十二犯すこと無し。其の正学女は片に差降有り。
十二とは何ぞや。
一には衣を分別せざる、
二には衣を離れて宿す、
三つには火に触る、
四には食を足る、
五には生種を害す、
六には青草の上に不浄を棄つ、
七には輒く高樹に上る、
八には宝に触る、
九には残宿の食を食す、
十には地を壊す、
十一には食を受けず、
十二には生苗を損す。
斯の十二、両小は過に非ず。其の正学女、後の五便ち犯す。此の下の三衆、咸く安居を制す。其の六法六随法は、余処に説くが如し。能く是の如くなるは、方に応法と成す。是れ五衆の收にして、物利を銷するに堪ふ。
『南海寄帰伝』巻3・1丁裏~2丁表、原漢文、段落等は当方で付す
上記に見える「正学女」であるが、義浄による訳出の律蔵関係文献に見られる名称であり、他の訳者は採用していない。そこで、意味するところは、「式叉摩那」のことである。つまり、義浄は、式叉摩那(正学女)について、「十二無犯」というべき、独自の戒を守っていたというのである。
そこで、この内容なのだが、色々と調べてみたが、この「十二無犯」についてまとまって報告している漢訳の律蔵はないようなので、当方にはこれ以上、調べることが出来ない。ただし、幾つかの条文は、律蔵上に存在している。よって、おそらくはそれらをまとめたものが、義浄留学時のインドで用いられ、それを伝えたという理解になるのだろうか。
後は、ただ内容を読み解いていくこととしたい。
まず1だが、衣を分別しないというのは、着る法衣(袈裟)などを選り好みしない、という意味で良いかと思われる。2は、法衣(袈裟)を脱いで宿泊してはならないことであろう。3は、火に触れてはならないことを指すが、どうも修行を了じた比丘などは触れて良く、実際に、仏を供養するであるとか、鉢盂を薫じたりすることを認めている。だが、まだ参学途中の式叉摩那は禁止されていたことになろう。4だが、お腹いっぱい食事を食べることを指すのだろうか。5には、生き物を害してはならないとの理解で良いだろうか。6には、青草の上に不浄物を捨てることを意味している。5に関連している。そして、7については、樹の高いところに登ることであり、禁止されていた。
それで、義浄の文章を見ると、この十二項目の内、2つ程度などであれば、咎にはしないという。また、正学女であれば、後半の5つについては、犯す可能性があるとしている。その際、安居をさせないとしている。その上で、式叉摩那の守るべき「六法(六随法)」は、他の文献にも示されているという。これらを守れれば、「応法」にするという。「応法」については、『摩訶僧儀律』に「応法沙弥」という概念が出てくるが、それに準じたものだろうか。つまり、「応法」というのは、比丘・比丘尼以外の五衆について、その戒法の守り方に対応して論じたものであろう。
なお、先程「十二無犯」の内、7項目を上げたが、残りは以下の通りである。8だが、宝物に触れることを指す。欲望が心に浮かぶことを危惧したものである。9には、「残宿食」といって、要するに、或る日、乞食して集めた食料を、翌日食べることをいい、これは比丘なども禁止されている。10は、地面を壊すとあるが、要するに農耕などの目的のために地面を耕すことを指す。禁止されている。11については、他者からの供養を受けないことを禁止したものであろう。12については、生えかかっている苗を抜いたりすることを指す。
よって、これら後半の5については、既に比丘・比丘尼と共通しているのだが、式叉摩那も禁止されていた。つまり、ほぼ、比丘・比丘尼に準じた生活法を行うことを求められていたことを意味しよう。
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