復た次に、善男子、菩薩摩訶薩、五法を成就し、則ち能く是の陀羅尼門を修す。
何等をか五と為すや。
自ら禁戒を持す、いわゆる解脱戒を愛護し、威儀行を成就す。
戒法を防護するに心に怖畏を生ずるは小金剛の如し。
一切の諸戒を受持修学す。
破戒の者を見ては持戒をして勧め、邪見の者を見ては正見を勧め、威儀を破る者へは威儀に住することを勧め、散心の者を見ては一心を勧ましむ。
二乗を好楽する者有るを見ては、阿耨多羅三藐三菩提に安住せしむ。
菩薩の成就する是の如くの五法、則ち能く是れ陀羅尼門を修す。
『悲華経』巻1「陀羅尼品第二」
さて、簡単に意味を考えておきたい。まず、菩薩が「五法」を成就することで、「陀羅尼門」を修行するという。この「陀羅尼門」であるが、本経典では「是の陀羅尼門、諸仏世尊の受持する所、如来の十力解脱の法門を開示分別す」とされており、諸仏が受持して、十力などの諸仏が持つ力の根源のように扱われている。つまり、菩薩はこの諸仏が受持している「陀羅尼門」の中で、大乗仏教を修行していくといえる。
それでは、具体的にはどのような「五法」となっているのかを見ておきたい。1つめは、自分自身で「禁戒」を受持するという。その上で、解脱戒を愛護し、威儀行を成就するというが、この「威儀行」というのは、他者に対して仏道に良い影響を及ぼす姿を持つことを意味する。
それから、2つめは戒法を防護する時に、心に恐怖心を生ずるのは、小金剛の如しとあるので、戒法を守るのに、破ったことを強く恐れることを意味している。また、3つめは一切の諸戒を受持し、修学することをいう。ここまでは、自己自身の問題である。
一方で、大乗仏教では、当然に自利利他円満の仏道成就が望ましいが、4つめは、破戒の者、邪見の者、威儀を破る者、散心の者などを見たときに、正しい方向に進むことを勧めるという。そして、5つめは非大乗としての二乗を好む者を見たときに、大乗仏教だからこそ至る、阿耨多羅三藐三菩提に安住するように示すという。
つまり、禁戒の護持に始まり、その自らの護持が、周囲へも良い影響を与えていく様子が、この「五法」なのである。前提としては、「陀羅尼門」に於ける修行となるが、「陀羅尼門」に於ける「禁戒」の位置付けについては、また、機会を得て学んでみたい。
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