つらつら日暮らし

『仏祖正伝菩薩戒作法』伝承に関する口訣について

今回紹介する口訣は、江戸時代末期に編まれた著者不明『開戒口訣』に見えるものであるため、実際に存在した内容であるかどうかは分からない。ただし、江戸時代末期当時の洞門僧が、『仏祖正伝菩薩戒作法』について、どう捉えていたかが分かるものであるため、参究してみたい。

 永平開祖、二祖・三祖に嘱して云、菩薩戒作法の如きは、懇に秘在して、旻せしむること勿れと。
 是故に今に至て、古叢林室中、多く秘在するものなり。
    『続曹洞宗全書』「禅戒」巻・354頁上段、カナをかなにするなど見易く改めている


まず、道元禅師が二祖(懐弉禅師)・三祖(義介禅師)に言葉を托して言われるには、『菩薩戒作法』は秘在して、「旻」させてはならないという。「旻」とは「そら」などの意味であり、このままでは意味は分からない。おそらくは誤字か、翻刻ミスだとは思うのだが、この辺もよく分からない。普通に「見る」で意味が通りそうなので、それで採っておきたい。

つまり、本書ではこの道元禅師の口訣があるために、古叢林の室中に、作法書が秘在されていたという。

さて、本書の立場は良く分かるが、問題はこの口訣がどの文献などに見られるものか、ということである。一般的に、道元禅師が三祖・義介禅師に対して残した言葉の記録は多くないと思われる。強いて言えば、『御遺言記録』があるが、同書には見られない。ただし、道元禅師が懐弉禅師に示したとされる口訣にならば、今回採り上げている内容は見える。

先師常に示して曰く、「若し我れ仏法に於いて内外を存せば、諸天聖衆定んで聞き食し、必ずや又た虚妄罪に堕す歟。唯だ秘事口訣有り。未だ他の為めに説かざるは、所謂住持の心術・寺院の作法、乃至嗣書相伝の次第・授菩薩戒作法、是の如き等の事なり。是等は伝法人に非ざれば輒く伝えず云々」と。然れば是の如き等の事、某甲(※懐弉禅師)一人之れを伝う。
    『御遺言記録』


文中に見える『授菩薩戒作法』が、これに該当すると思われる。よって、『開戒口訣』では上記内容をもって、道元禅師が二祖・三祖に示したものだとしたのだろう。また、確かに『菩薩戒作法』の写本には、「右、菩薩戒儀、先師親筆の本、懐弉これを伝受す。今、法弟・義尹蔵主、法器たる者、これを聴許す」(原漢文)とあって、「法器」という、或る種の境涯(伝法人)を元に、書写を認めていることも分かる。

よって、本書では道元禅師が懐弉禅師に伝えたものであるということを、少し誤解して、義介禅師にも伝えたものだと解釈したのかもしれないし、或いは上記の記録自体を、二祖・三祖として理解した可能性もある。

話を戻すが、本書では更に、以下の口訣も載せている。

 永平二祖のの玉はく、今の伝来相承は根本戒〈唯仏与仏唯授唯受す〉を授くとみゑたり。当家の口訣面授にも、西来相伝の戒を学ぶ人にさづく。是便ち今の菩薩戒也。
 今此受授するところの十六条の大戒、已に西天東地嫡嫡相承し来て血脈貫通す。実に是れ一超直入如来地の独菩薩法也。その壇場の慎密受授の軌則、一一厳然として仏祖の伝来するものなり。
    前掲同著・354頁上段


さて、これは懐弉禅師の言葉として示されているが、出典は『正法眼蔵随聞記』巻2である。根本戒についての著語は、本書の立場をよく示したものであろう。それで、本書の立場を更に見ていくと、十六条戒はインド・中国の祖師方が嫡嫡相承しており、血脈貫通しているという。しかも、作法も同じように伝えられてきたということであろう。

いつも言うように、この辺は文献上は確認されないところである。しかし、信念として発露されたものであろう。この辺が、ただの信念では無く、明確に伝承されたものだという記録が見つかることを、拙僧個人としては願う。

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