つらつら日暮らし

反・無宗教論 ver10.1(続編)

【結論じみたモノ】

前編】の続きになるが、法然上人の念仏は移動として見出される場所であって、それは立場ではない。法然上人が選択として見出した阿弥陀念仏や、善導和尚のような先達はどこまでも立場の根拠としてではない。何故ならば、法然上人の言説はそれ自体積極的な意味として取り出すことが出来ないからである。そのような「意味」として取り出す場合には、本来差異化の運動としてあったズレが消されて、法然上人や念仏が「真」であり、他の思想家は「偽」であるということになる。このような「専修念仏」の宗教化は、言説の「場所」を「立場」に変えることであり、法然上人の著作のような「差異化のテクスチャー」としてあるものを、何らかの理念を現す「作品」としてみることに他ならない。

さて、諸行から一行を選ぶという過程を経ないで念仏を見る場合、それは差異化の機能を果たしていないと見ることが可能である。確かに、法然上人は念仏を選んでいくがそれは差異化の結果として、非常に戦略的に立ち上げられていくのに対し、始めから念仏のみを見出した者は、そのような場所が立場として理解され、当初から「真偽」の過程と伴って理解されることになる。問題は、真が真となることが救済という事実において事後的に決定されることなのである。

そして、もちろんこれは他の宗教などの一切に当てはまることになる。本来差異化としてある機構は常に「場所」としてのみ有り得るのであり、その場所を形成する差異化の運動としてのみ救済される。であれば、「立場」に変換する一切の要素を停止し、どこまでも宗教的活動としてのみ行為されていくべきである。そして、そのような「立ち上げ」は既に多くの世界宗教者によって実現されているのである。

以下、【ver10.5】に続く。

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コメント一覧

tenjin95
再コメントありがとうございます。
> azumando さん



> 法然は「選択」の過程そのものを悟り(疑いを免れること)への手段ー修行として使っている,ということですね。



はい。まさに、法然上人にとっては阿弥陀仏への交通が、慎重に道を選んでいること自体、戦略的であり、かつ差異化であり、まさに疑いを除くための方法を確固たるものとして示そうとしたと理解しています。
azumando
>悟りとはまさに修行そのものとしてしか理解できません。

了解いたしました。よくわかります。



コメントを書いた後,もう一度読ませていただきました。「法然の選択」前まではおおよそわかったのですが,法然についてはうまく追えませんでした。しかし,上のコメントのもとで読むと



>選択が同時に摂取であると採られていることに留意すべきである。選ぶことが同時にその固有の方法として成立しているのである。先に指摘した「立ち上げ」への回路が開かれるのである。



もなにやらわかってきます。法然は「選択」の過程そのものを悟り(疑いを免れること)への手段ー修行として使っている,ということですね。



紹介していただいたいくつかの文章も参考になりました。ありがとうございます。



tenjin95
コメントありがとうございます。
> azumando さん



そうです。或いは何かに負ぶさって信仰することの危険さを指摘したいとも言えます。安住とは、文字通り固定化されることではなく、運動の最中にあって自らを作ることだと思っている拙僧としては、悟りとはまさに修行そのものとしてしか理解できません。或いは、道元禅師の言葉を拝借すれば、修証は一等なりとも言えましょう。



ですので、過程であってもそれがそのまま悟りなのです。また、差異化という基準からすれば、自力的に差異化できる人もいると思います。条件としては、常に自らの「場所」を吟味しながら、「立場」に転換しない人、拙僧は45年間の釈尊の教化は、そのような「場所」に安住し続けたことだと理解しています。繰り返しになりますが、安住とは運動の最中での自己形成=オートポイエーシスです。
azumando
拝読
非常に興味深い内容だと感じられますが,むずかしいですね。

大変おおざっぱで恐縮ですが,信仰を静的にとらえるのではなく動的にーつまり運動のなかでとらえるのが大切,と述べられているようにとりましたが,それでよろしいでしょうか。

宗教において重要なのは,出来上がったものではなく,悟り(でしょうか)への過程である,法然においてあったのもそれであり・・



すべてを過程の中にみるという見方は私にとっても魅力的です。しかし,悟りがこの世で実現されえて,しかも釈迦をはじめ実際悟りをえた人がいる,ということを認める,というのはそう簡単なことではないように私には思えます。
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