近年、ペット供養などが流行っているが、その時に埋葬される供養塔には、総じて観音菩薩か地蔵菩薩が置かれることが多いが、拙僧は敢えて、地蔵菩薩にすべきだということをいささか論じてみたい。
そもそも、地蔵菩薩が如何なる衆生であっても救うことはいうまでもないことであり、その時にも様々な化身というか分身を使うことについて、先のログで確認した。これを更に考えると、日本で作成された偽経ともされる『仏説延命地蔵菩薩経』では、以下のような内容がある。
諸法は空寂にして生滅に住せざれども、縁に随って生ずるが故に色身同じからず、性欲無量なれども普く得度を為す。延命地蔵は或いは仏身を現じ、或いは菩薩の身を現じ〈中略〉或いは医王の身を現じ、或いは薬草の身を現じ〈中略〉或いは象王の身を現じ、或いは獅子王の身を現じ、或いは牛王の身を現じ、或いは馬形の身を現ず〈中略〉三界の所有る四生、五形変ぜざる所無し。延命菩薩は是の如く法身の自体遍きが故に種々の身を現じて、六道に遊化して衆生を度脱す。能く一善を以て三界の有を破す。
訓読は拙僧
このように、延命地蔵は多くの姿になって衆生を苦しみから解放してくれる。然るに、色々な動物の姿にまで身を変じて導いてくれることを理解しておきたい。そして、ここからは拙僧の独断と偏見で敢えて申し上げるが、最近皆さんが飼われているとおぼしきペット。これなども、地蔵菩薩の分身であるかもしれない・・・
何故ならば、延命地蔵は法身自体が三界に充ち満ちており、種々の身を現じて、六道(人間界を含む)に遊化するからである。皆さんは、ペットによって心が癒された経験はないだろうか?このような効果は、まさにペットが地蔵菩薩の分身だからではないか?などと思う。また、そのペットとて永遠の命ではない。むしろ、極めて限定的な命であり、ペットを亡くされた方はペットロス症候群になるとも言われている。しかし、それはまた、自らの死を現ずるによって衆生に「三界に永遠なる存在はない(上記訓読文では「三界の有を破す」)」ということを知らしめることで、宗教心を発させる働きがあると見るべきなのである。
いかがだろうか?!
もしこのような事態であれば、ペット供養に地蔵菩薩を使うことは、むしろ理にかなっておりますし、ペット供養もやはり仏教寺院が行うべきであることが理解できるのではないか?!と思う。
さらに詳細に考えていくが、何故地蔵菩薩はこのような分身を使うことが出来るのだろうか?!実はこれは「地蔵」という名前自体にその秘密が隠されている。『究竟一乗宝性論』第四には以下のような言葉がある。
又復、偈に言う。仏性に二種有り。一は地蔵の如く、二は樹果の如し。無始世界より来の、自性清浄心と無上道を修行せるものなり。二種の仏性に依りて、三種身を出だすを得。初めの譬喩に依るが故に、初めの法身有りと知る。第二の譬喩に依りて、二の仏身有りと知る。
『新国訳大蔵経』「論集部1」244頁
もちろん、ここで挙げられている「地蔵」とは地蔵菩薩のことではなくて、地に無量の伏蔵している功徳(如来蔵・仏性)なわけだが、例えば『望月仏教大辞典』「地蔵」項では、ここを強調して、地中の伏蔵をもって如来蔵を隠喩したのであれば、地蔵という名前も、恐らくここに基づいたものだろうと推測し、地蔵菩薩は如来蔵を擬人化したものではないか?とした上で、地蔵菩薩が種々の姿を現せるのは、この本有仏性の内的活動があるためだと結論付けた。となると、まさに、地蔵菩薩とは、「如来蔵エンジン(写真は参考資料です。BMW=Buddha・Motor・Whorl)」を積んでどこまでもブッダパワーをもたらす救済者なのだろう。
ということで、皆さんの飼っておられるペットも、この「如来蔵エンジン(写真は本物ではありません)」を積んだ地蔵かもしれないので、どうぞ大切になさっていただいて、最期は近くのお寺で懇ろにご供養されてはいかがだろうか?!
#仏教
コメント一覧
tenjin95
菩薩様・如来様・明王様・天部様・衆生様・皆大好きです
tenjin95
星 良兼
tenjin95
BMWエンジン製造部部長
風月
如来(地)藏
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