又かの役小角などの輩は前鬼後鬼とか云ものを使つたとあるから、本より狐づかひと同じ事、
又阿部晴明は式神を使ひそれで不測を見せたと有ますが、この式神と云ふは死人の霊を使ふとみへる。
かやうの業する輩、昔の僧どもはもとより、外にも多く有ましたが、其うち法師のしざまが憎ひでござる。これは中比の書を読でみるに、高貴の御かた御懐妊とか、いさゝか御不快とでもいふと大かたは物怪がつく。そこでいつも法師どもに仰せ付られて祈をなされ、そこで御快気有た所を見れば、法師共己れその物怪をつけまいらせ其祈をいたし、私せんとのしわざでござる。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』48頁、漢字などは現在通用のものに改める
まずは、以上の通りである。なお、「阿部晴明」とあるが、一般的には「安倍晴明」と書かれると思う。いわゆる「原文ママ」である。それで、ここでは、役小角や安倍晴明が、様々な鬼や式神などを行使したが、その様子について、仏教の「法師」のやり方が憎いと、篤胤が批判している。何故憎いかといえば、どうも篤胤は、仏教の法師による「自作自演」を疑っているようなのである。
具体的には、高貴の地位にある貴族などがご懐妊やご不快などといった場合、そこには「物怪」が取り憑いているという。そうなると、必ず「法師」が呼ばれて、物怪を退治し、避けることになるが、篤胤はそもそも、法師が物怪を取り憑かせ、自分で祓っているのだから、自作自演だという。
仏教者側からすると、言い掛かりのようにも見えるのだが、篤胤は探偵気分で、以下のような理由というか、証拠を開示している。
夫に違ひのなひ証拠はとかく上様にばかり物怪の祟りが有て、下ざまにはとんとないでござる。こゝを以て坊主どもの為る事なるをしるが宜しひでござる。これは今世にも僧や修験者など云奴らのこの謀事る行ひ、己れ狐お付け其狐をおどす祈祷の受合ひ、物取る者もまゝあるでござる。これらもやはり幻術の流れで、多くは仏法より伝へきた事でござる。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』48頁、漢字などは現在通用のものに改める
篤胤が問題にしているのは、「中比(中頃)」とあるので、いわゆる平安時代などの中世の出来事を指している。そして、ここでは上様(要するに、上流階級)にばかり、物怪の祟りが出て、下ざま(要するに、下流階級)には、そういった話がないとしている。ここから、篤胤は上様に取り入りたい、或いは、その頃の法師は上様としか関係を持たなかったので、法師の自作自演だとしたのである。もう少し、具体的な証拠があっても良さそうなものだが、そういうわけでもない。
それから、仏教が「幻術」を得意としていることは、既に富永仲基『出定後語』の影響だと指摘したが、今回もそれを元に様々な術が仏教由来だと断定しているのである。
ところで、上記内容について、こういう理由だから、引っかかってはいけない、という話であれば、これはその通りである。現代でも、霊感商法などが問題になることがあるが、これなどはまさに、自作自演的な詐術である。確かに、そこに何らかの苦しみを持っている人がいるとしても、その苦しみの原因は、霊感商法で騙そうとしている人や組織がいう理由とは限らないのである。勝手に、苦しみの原因を断定しつつ、その解決方法を持つのが自分たちだけだとすれば、自作自演になることは明白である。この件については、篤胤の指摘は、共感できるところである。
然れども是を神通と云ゆへ何か香ばしげに思ひおる人もあるけれども、元来邪法ゆへ上の御咎めもありて縛られもすると、頓と神通も何も知らぬ常の人と同じ様にいくじもなく縛られて、既に山伏の方などでは、神変大菩薩とか何とか云てさわぐ、役の行者でさへ色々おかしな事を致しても、天皇の勅命には何の手もなく縛られて伊豆の嶋へ流され、ちよぢよと成ておつたでござる。
是を元亨釈書などには、勅命の下で小角を捕へようとしたる所に、空へ上りて飛去たる故捕へる事ならず、よつて其母を捕られ縛つたによつて、小角は是非なく捕へられたなどいふてある。みなそら言でござる。
こりやどうじやといふに、たかが凡人の為に役せられて使はれる様な前鬼後鬼ぐらいの卑き妖鬼のしわざ故、迚も其人を救ふ程のこともなく、また悟り深く威徳のある人には手も足も出る事じやなひでござる。
『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』48~49頁、漢字などは現在通用のものに改める
そして、役小角についての話として、ここが締めくくりとなるが、ここで篤胤は『元亨釈書』を引用していることが分かる。同書巻15は「方応八」だが、そこに「役小角」項が収録されている。篤胤が参照したのはその項の「一言主、宮人に託して曰わく、我れは是れ逆寇の神を管するなり、竊に見るに、役小角、潜かに国家を窺う。急治せずんば、殆んど危うし。宮人の聞くを以て、文武帝、勅を下して小角を召す。小角、騰りて空に飛去し、追捕することを得ず。官吏、計を設けて其の母を略収す。小角、已むを得ず自ら来たりて囚に就き、便ち豆州大嶋に配す」という一節である。ただし、篤胤はこれらを「そら言(空言・虚言)」と否定している。
また、役小角の能力についても、かなり否定的だったようで、鬼などを使役したとしても、元々力や能力の低い妖鬼に過ぎず、人を救ったりもせず、悟りが深い威徳にも手を出せないと看破したのであった。これはこれで面白い評であり、国学というのが、意外と合理的発想を持っているという実感はあったのだが、こういうところにもその影響が見られることが分かった。
【参考文献】
・鷲尾順敬編『平田先生講説 出定笑語(外三篇)』(東方書院・日本思想闘諍史料、昭和5[1930]年)
・宝松岩雄編『平田翁講演集』(法文館書店、大正2[1913]年)
・平田篤胤講演『出定笑語(本編4冊・附録3冊)』版本・刊記無し
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