やはり、京都で盛んだったようで、京都の場合には、洛外に六体の地蔵を祀り、それを市中の子供たちがお祭りしていたといい、江戸時代の鈴木正三(1579~1655)が晩年になって書いたと思われる、或る反故(手紙)には、この地蔵盆のことが書いてある。
京中、辻々の地蔵祭、去年七月より童部共、見事に致し候。此五月にも盆を待兼候て、辻々にて祭を見事に致し候。
鈴木正三『反故集』「或る士に与う」
現在でも、京都の場合には、各地域でお地蔵さんをお守りしている家があって、各地域で僧侶を呼び、供養して貰うという流れになっているようである。
ところで、日本では地蔵を中心とする宗派はついに出来なかった印象であるが、一方で、十王信仰による閻魔王の本地としての信仰が強まった。しかし、ここには、子供を守るというイメージが出てこない。それは、どの辺が典拠なのであろうか?
そこで、簡単に調べてみたが、おそらくこの辺が・・・というところは以下のものだろうか?
また、この菩薩、十種の福を得せしむ、
一には女人泰産、
二には身根具足、
三には衆病悉除、
四には寿命長遠、
五には聡明智慧、
六には財宝盈溢、
七には衆人愛敬、
八には穀米成熟、
九には神明加護、
十には証大菩提、
『延命地蔵菩薩経』
ここで気になったのは、最初の「女人泰産」である。つまり、女性による出産が安泰であることを意味する。転ずれば、そこで生まれる子供も守っているわけで、どうもこの辺が典拠なのではないか?と思うようになった。実は、地蔵菩薩には誓願(十二大願)があるというのだが、そちらには、子供に直接に関わりそうな内容が出てこない。一応、挙げておこう。
一には獄苦代受、
二には餓苦代受、
三には畜苦代受、
四には修羅救苦、
五には三昧入定、
六には衆生増寿、
七には病苦代受、
八には国難代苦、
九には怨賊離苦、
十には貧苦救済、
十一には官位所求、
十二には命終現前、
地蔵菩薩に関する複数の文献参照
このように、六道能化とも称される地蔵菩薩のあり方をそのまま表現したような大願の内容である。しかし、ここに子供を救うという内容は出てこない。そうなると、今回の記事で採り上げている「地蔵盆」の意義というのは、こういった地蔵経典などで言われていた内容では無く、別の伝承があってのことだったといえよう。
しかし、動機は何でも良い。それこそ鈴木正三道人が指摘したように、立派に仏事を勤めることが大事なのである。南無六道能化地蔵大菩薩、合掌。
この記事を評価して下さった方は、にほんブログ村 仏教を1日1回押していただければ幸いです(反応が無い方は[Ctrl]キーを押しながら再度押していただければ幸いです)。
最近の「仏教・禅宗・曹洞宗」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2016年
人気記事