つらつら日暮らし

真言宗系の『出家授戒略作法』についての備忘録

当方の手元には、現段階で4本以上の真言宗系『出家授戒略作法』がある。簡単に書誌情報を書いておくと以下の通りである。

①『出家受戒法』応永11年成立、文政12年書写(明治期の再写)
②『出家受戒略作法』奥書無し
③『出家授戒略作法』昭和期の書写(原本は江戸期だと思われる)
④『出家受戒略作法』高野山山内での書写(紙質などからは、そう古くない)


そこで、この4本以外にも、蔵書のどこかに同系統の写本がもう数本あったと思うのだが、見付けきれなかったので、まずはこの4本のみ紹介しておきたい。それで、今回はあくまでも備忘録なので、確認しておきたいのは、ここで発心人に授けられる「戒」について見ておきたい。

①三帰(ただし「戒体」と表現)・戒相(沙弥十戒)
②三帰・戒相(沙弥十戒)
③三帰・十戒(沙弥十戒を十善戒に改める)
④三帰・戒相(沙弥十戒)


以上の通り、「出家」には「沙弥十戒」が使われるのが基本である。だが、何故か、③では元々書いてあった「沙弥十戒」を、「十善戒」に改めてしまっている。とはいえ、これは何らかの誤解だったのではないだろうか。何故ならば、「十戒」を授けた後で、「是れ沙弥の十戒なり」と書いてあって、そちらが本来だったと思われるのである。

それに、「出家」の機能という点でいえば、やはり「沙弥十戒」が在家と出家とを分けていたはずである。

ところで、この作法書自体は①によれば、以前、【実範上人『東大寺戒壇院受戒式』「正受戒法」への雑感】という記事でも採り上げた実範上人(?~1144)にまで遡るとされている。もちろん、その検証自体は現段階の当方の力には余るが、おいおい何かの時に検討してみたい。

それから、ここで気になったのは、やはり①の「三帰」について「戒体」と書いてあるところだろう。

毘曇に、法中に三帰を聞く時、全て戒体を得ん。
    浄影寺慧恩『大般涅槃経義記』巻9


このような「三帰」と「戒体」との関係については、中国以東で成立したであろう註釈書などに見ることが出来る。だが、①の由来になるような教えがあったことは事実である。他にも、三帰が他の諸戒を受ける根拠になる見解などは決して珍しくない。だが、思想的に「戒体」は色々と厄介ではある。そして、ここだけでは、分からない。

そういえば、先の4本の内、もっとも調っているのが①である。後の3本は、何かしら欠けている。おそらくは、ただの写誤だとは思うが、その意味では、①はかなり研究のしがいがあるといえる。今回は、あくまでも備忘録なので、機会を見て更なる参究をしてみたい。

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