・巻14「聖行品第七之四」
・巻15「梵行品第八之一」
結果、意外と「小乗」って使ってないな、というのが拙僧の印象である。それで、上記2つを見てみようと思う。
・善男子、是の諸大衆に復た二種有り。一つには小乗を求め、二つには大乗を求む。我、昔日、波羅奈城に於いて、諸声聞の為に法輪を転ず。今、始めて此の拘尸那城に於いて、諸菩薩の為に大法輪を転ず。
・諸もろの衆生、無上戒を得んと願わば、大乗の戒にして小乗戒に非ず。
以上である。それで、この前者の文章から「小乗」というよりは、「声聞」を使っていることが分かる。実際に、「声聞」の用例はほぼ全巻に及んで300箇所を超えている。ただし、前者の文章から小乗と声聞(縁覚も含むのだろう)を関連させていることが分かる。
ところで、ここでは「小乗戒」とは出ているが、これもこの1箇所しかない。しかし、「声聞戒」というと、4箇所となるのだが、大乗と対応する用語が変わり、「戒に復た二有り、一つには声聞戒、二つには菩薩戒なり」(巻28「師子吼菩薩品」)とある。よって、大乗戒とは菩薩戒と対応するものである。
なお、菩薩戒の意義については、以下のようにも示されている。
初発心従り乃至、阿耨多羅三藐三菩提を成ずるを得ん、是を菩薩戒と名づく。
白骨を観るが若く乃至、阿羅漢果を証得す、是を声聞戒と名づく。
若し、声聞戒を受持する者有れば、当に知るべし是の人、仏性及び如来に、以て見えず。
若し、菩薩戒を受持する者有れば、当に知るべし是の人、阿耨多羅三藐三菩提を得て、能く仏性・如来・涅槃を見る。
『大般涅槃経』巻28
結局、菩薩戒と声聞戒とでは、その「射程」が異なっていることが分かる。菩薩戒は生生世世に守り、阿耨菩提を証し、仏性や如来を見るという。一方で、声聞戒はこの人生のみ守るものだが、阿耨菩提などを見ることは出来ないという。よって、声聞と菩薩の位置付けそのものの違いといえる。
ところで、これらのことを総合すると、少なくとも「小乗」については、ただ「声聞」と対応させているだけで、いわゆる「自分だけの悟りを求めている」というような見解まで伴っているわけではない。それはおそらく、別の経典などを参照する必要があるのだろう。
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